コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

後藤明子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

後藤 明子(ごとう あきこ、1976年7月10日 - )は1990年代半ばに活動したタレント神奈川県出身。Mr.Childrenの大ファン。後期の芸名は水上杏子(みかみきょうこ)。

略歴

[編集]

高校3年生だった1994年9月に当時落成したばかりのTBS新放送センター(通称ビッグハット)TBSラジオ主催の第2回シンデレラドリームオーディションに合格。10月から同局の深夜番組シンデレラドリーム ミッドナイト☆パーティー」(以下ミッドナイト☆パーティーと略す)でデビューした。最初はレギュラーメンバーには加わなかったものの、毎月行われる定期イベントに参加した。実年齢では年下だが、ミッドナイト☆パーティーシンデレラは先輩に当たる松宮麻衣子が主催し、11月に行われたイベント第1回の「松宮麻衣子TOMATOスタジオ」では芹川ゆかりら同じオーディションに合格したシンデレラと一緒にゲスト参加した。

1995年1月に蛭田有希子がメインを務めていた月曜深夜1部の「20世紀最後の大選択」のコーナーに"選択姫"(担当アシスタント)として起用され、初めてレギュラーとなった。4月には木曜深夜担当に移り、深夜2:30からの「TV版!ミッドナイト☆パーティー」(TBS)にもレギュラー出演した(同時に高校を卒業し、短大へ進学)。また当時大人気女優だった中村あずさ森下涼子らが所属していたプロマージュに所属し、本格的に女優への道を歩み始めた。

10月にミッドナイト☆パーティーが終了したのを機にこれまでの本名から芸名水上杏子に改名した。以後の芸能活動はこの芸名で活躍した。後継番組の「ウィークエンド・ミッドナイト☆パーティー」では数回ゲスト出演したが、11月11日深夜(12日早朝)の最初のゲスト出演には、普段ならメインの黒住祐子四元都華咲がやるはずのオープニングを自身の希望で初めてやらせてもらったという(ミッドナイト☆パーティーの頃はすべて番組途中からの出演だったため)。そして同月下旬にはTBS系「Try it!」(5分間のミニ番組)に出演、ミッドナイト☆パーティー関連以外では初の番組出演となった。1996年3月にはテレビ朝日系「トゥナイト2」リポーターに起用された(~5月、以後シンデレラ仲間の黒住祐子も出演)。夏には同局系ドラマ「闇のパープル・アイ」(雛形あきこ主演)に事務所の先輩である中村あずさの計らいで出演し、つい女優デビューを果たした。

短大卒業を控えた1997年1月、TBS系「輝く日本の星! 平成の原節子を創る」の公開オーディション番組に出演し、卒業後の芸能活動継続にかけたが、あと一歩というところで敗退。短大卒業と同時に引退した。

主な活躍

[編集]

出演番組

[編集]

太字はレギュラー出演

  • シンデレラドリーム ミッドナイト☆パーティーTBSラジオ・1994年10月~1995年10月)
    • 1994年10月~12月 ラジオ出演はなく、定期イベントのみ出演
    • 1994年11月 松宮麻衣子主催イベント「松宮麻衣子TOMATOスタジオ」にゲスト出演
    • 1995年1月~3月 月曜深夜1部(24:00~26:00・火曜午前0:00~2:00)に「20世紀最後の大選択」のコーナーの“選択姫”としてコーナー担当アシスタント
    • 1995年4月~10月 木曜深夜(金曜未明)&TV版!ミッドナイト☆パーティーTBS)担当(TV版は~9月)
      • これまで蛭田有希子がメインだった月曜1部に、これまでメインだった黒住祐子がTV版専門担当になるため木曜担当を蛭田有希子に引き継ぎ、統合したのに伴い異動。
    • 1995年9月10日 蛭田有希子主催イベント「蛭田有希子ふれあいパーティー」に出演
“水上杏子”改名後

掲載雑誌

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]
ミッドナイト☆パーティー シンデレラ
シンデレラドリームオーディション第1期生
黒住祐子橋口育代潮まきこ松任谷玉子額村麻裕四元都華咲
石本祥岩崎伊津子蛭田有希子福田真知子高田裕子
坂井美唯子古賀美智子平松まゆき永瀬知恵松宮麻衣子
シンデレラドリームオーディション第2期生
後藤明子芹川ゆかり平塚優子相沢知中上千鶴
オリジナルユニット
マヒマヒ