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張興 (明)

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張 興(ちょう こう、生年不詳 - 1407年)は、明代軍人本貫寿州

生涯

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兵士から身を立てて、燕山左護衛指揮僉事となった。1399年建文元年)、靖難の変が起こると、燕王朱棣の起兵に従って、多くの功績を立て、都指揮同知に累進した。あるとき張興は単騎で敵を追って、数十カ所の傷を負い、戦闘不能になった。兄の子の張勇に指揮使を嗣がせ、代わりにその兵を率いさせた。1403年永楽元年)5月、張興は功を論じられて、安郷伯に封じられ、1000石の禄を賜り、伯爵の世襲を認められた[1]1407年(永楽5年)1月、死去した。後嗣となる息子がいなかった。

張勇が安郷伯の爵位を嗣いだ。1410年(永楽8年)、張勇は永楽帝(朱棣)の第一次漠北遠征に従軍したが、軍の紀律を失い、交趾に流された。赦令を受けて北京に帰還し、爵位をもどされた。

脚注

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  1. ^ 明史』功臣世表二

参考文献

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  • 『明史』巻146 列伝第34