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張緑水

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
淑容張氏
숙용 장씨

全名 張緑水
出生 不詳
死去 1506年9月2日
配偶者 不詳
  燕山君
子女 李霊寿
父親 張漢弼
母親 不詳
役職 妓生(前職)
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張緑水
各種表記
ハングル 장녹수
漢字 張綠水
発音 チャン・ノクス
日本語読み: ちょう・りょくすい
ローマ字 Jang Nok-soo
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張 緑水(ちょう・りょくすい チャン・ノクス、ハングル: 장녹수、生年不詳 - 1506年9月2日)は、李氏朝鮮第10代国王燕山君の後宮。

生涯

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父は忠清道文義県令を務めた張漢弼(ちょう かんひつ、チャン・ハンピル)で母は側室だった[1]。生活は非常に貧しく、食べるために体を売ることもした[2]。その後成宗の従弟である斉安大君朝鮮語版家婢となった。斉安大君家の家奴である男性と結婚して1子を挙げたが、夫と子を捨てて出奔[3]。歌舞を学び妓生(キーセン)となった。張緑水は唇を動かすことなく歌う事ができ、声も美しかった。

容姿は並みで特別美人ではなかったが、非常に童顔であった為、30歳を過ぎた時点で16歳の娘のようであったという[2][3][脚注 1]

燕山君は張緑水の噂を耳にし、彼女を後宮に迎えて淑媛(スグォン)に封じた。弘治15(1502)年12月8日には翁主(オンジュ)霊寿(れいじゅ、ヨンス)を出産。弘治16(1503)年には淑容(スヨン)に封じられた[4]。燕山君は自身より年上の張緑水を寵愛し、激しく立腹していても、彼女の姿を見れば喜び笑う程であったという[2]。張緑水は母親の愛情を知らない燕山君を赤ん坊扱いし、幼児語で話していたという[5]

張緑水は王の寵愛をもとに権力を濫用した。実の姉とその息子の身分を平民に引き上げ、姉の夫である金孝孫(きん こうそん、キム・ヒョソン)を咸鏡道伝香別監に任じさせた[6]。宮中に住んでいるにも関わらず王宮外に私邸を作ったが、その際に近隣の民家を破壊している[1][7]。同知中枢府事であった李秉正(り へいせい、イ・ビョンジョン)は張緑水の使用人に侮辱されたが、賄賂を差し出して禍を逃れることができた、という記録もある[1][8]。弘治18(1505)年には張緑水のチマを誤って踏んだ玉池花(ぎょく ちか、オク・チファ)という妓生が軍器寺朝鮮語版前で斬首された後、連芳院にて梟首されている[1][9]。張緑水と側近たちの横暴ぶりは、燕山君の悪政と合わせて、民衆の憎悪の的となっていった。

正徳元(1506)年9月2日中宗反正により燕山君が廃位された後、張緑水は捕らえられ、淑容田氏朝鮮語版淑媛金氏中国語版と共に斬首された[10]。遺体は放置され、多くの人々がその遺体に唾を吐き、石を投げつけた。投げられた石の数があまりに多かったのでたちまちにして石塚ができあがったという[3]

評価

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張緑水はしばしば、張玉貞鄭蘭貞と共に「朝鮮三大悪女」のひとりと数えられる。作家の康煕奉はコラム中にて、後世の戒めとするために張緑水の悪行がより強調されて記録されていったと述べている[3]

家族

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  • 父: 張漢弼
  • 母: 不詳(側室)
    • 姉: 張福寿 - 金孝孫室[11]
  • 夫: 不詳
    • 不詳 息子であったという説がある[1]
  • 夫: 燕山君(1476年 - 1506年)
    • 翁主 李霊寿(1502年 - 没年不詳)

張緑水が登場した作品

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映画

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テレビドラマ

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楽曲

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脚注

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  1. ^ 一方で朝鮮王朝実録では彼女の容貌を「中人を超えるものではない」とも記している[2]

文献

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  1. ^ a b c d e 申炳周 장녹수 (朝鮮語) NAVER 2016.4.16 12:34 (UTC) 閲覧
  2. ^ a b c d 「以金孝孫爲司正。孝孫 張綠水姊夫、綠水 齊安大君家婢也。性慧、善候人意。初貧甚、賣身以食。嫁夫無節、爲大尹家奴妻、生一子。後學歌舞爲娼、善歌不動脣齒、其聲淸亮可聽。年三十餘、貌如二八兒。王聞而悅之、遂納焉。自是、寵愛日隆、所言皆從、封淑媛。容色不踰中人、而陰巧妖媚、莫有比者。王惑之、賞賜鉅萬、傾府庫財物、盡歸其家; 竭金銀珠玉、以悅其心。奴婢田宅、亦不可勝計。操弄王如嬰兒、戲辱王如奴隷。王雖盛怒、見綠水則必喜笑、賞刑皆在其口。孝孫以姊夫、得至通顯。」 朝鮮王朝実録 燕山君日記47冊、燕山8年11月25日 甲午2回目
  3. ^ a b c d 康煕奉 龍飛御天歌-朝鮮王朝の世界<34>傾城の側室 正史に戒め 民団公式サイト(オリジナル: 民団新聞 2013.6.13付記事)
  4. ^ 「丁巳/傳曰: "淑媛張氏爲淑容。"」朝鮮王朝実録 燕山君日記51冊、燕山9年12月24日 丁巳1回目
  5. ^ 張緑水(チャン・ノクス)欲望のままに生きた朝鮮三大悪女”. アジアンドラマの史実 (2018年8月9日). 2023年8月29日閲覧。
  6. ^ 「傳曰: "金孝孫其差咸鏡道傳香別監。" 孝孫宮人綠水姊夫。」朝鮮王朝実録 燕山君日記51冊、燕山9年11月13日 丙子2回目
  7. ^ 「傳曰: "張淑容家在閭閻間, 慮火災延燒, 其撤比隣人家以廣之, 令該司議價以給。"」朝鮮王朝実録 燕山君日記52冊、燕山10年3月8日 己巳3回目
  8. ^ 「秉正與張淑容家奴面質, 奴攘臂厲聲叱秉正曰: "爾何奸詐之甚?" 惡詈無所不至, 滿坐失色, 莫不痛憤。 王怒甚必殺之, 秉正竭家財, 賂淑容免後放還。 淑容家又嚇之曰: "爾雖見放, 我更一言, 置死何難?" 秉正懼又賂, 前後賂遺無算。」朝鮮王朝実録 燕山君日記55冊、燕山10年8月2日 己未2回目
  9. ^ 「傳曰:「玉池花、今日斬于軍器寺前、其首傳示于聚紅、蕾英院、梟于聯芳院。"」朝鮮王朝実録 燕山君日記60冊、燕山11年12月23日 癸酉3回目
  10. ^ 「大臣等僉啓曰: "張淑容 綠水、田淑容 田非、金淑媛 貴非等三人, 是皆亂本, 宜速除去。" 傳曰: "可。" 皆處斬、籍沒家産。」朝鮮王朝実録 中宗実録1巻、中宗1年9月2日、戊寅3回目
  11. ^ 「傳曰, 軍器寺副正金孝孫, 陞授本寺正. 孝孫, 張淑容兄福壽夫.」朝鮮王朝実録 燕山君日記59巻 燕山11年9月2日 癸未6回目