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張穆之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

張 穆之(ちょう ぼくし、生没年不詳)は、南朝宋政治家は思静。本貫范陽郡方城県蕭衍の母方の祖父。弟は張安之(張弘策の父)。西晋司空張華の6世の孫にあたる。

経歴

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宋の濮陽郡太守の張次恵の子として生まれた。元嘉年間、員外散騎侍郎となった。吏部尚書の江湛や太子左率の袁淑と仲が良く、袁淑が始興王劉濬に穆之を推薦すると、劉濬は穆之を信任した。穆之は建康に禍乱のきざしがあるのを見て、難に遭うのを避けるために、江湛に言って外任を求めた。江湛は東県で任用しようとしたが、穆之が遠郡での任を強く求めたため、寧遠将軍・交趾郡太守となった。治績を挙げ、ときに刺史が死んで交州で大乱が起こると、穆之は硬軟両用の対処で領内を安定させた。文帝がこのことを聞くと賞賛し、穆之は交州刺史に任じられるところだったが、病没した。

が建国されると、光禄大夫に追贈され、金章紫綬を加えられた。

子女

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  • 張弘籍(字は真芸、初に鎮西参軍となった)
  • 張尚柔(梁の武帝蕭衍の母)

伝記資料

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  • 梁書』巻7 列伝第1 皇后
  • 南史』巻12 列伝第2 后妃下