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張曼成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

張 曼成 (ちょう まんせい、? - 184年)は、中国後漢末期の人物。張角に呼応した黄巾軍の指導者のひとり。

184年、太平道大方(黄巾軍の総司令官)の馬元義が朝廷軍に捕らえられ処刑されると、張曼成は南陽郡で民衆を集め挙兵。同年春3月に南陽太守褚貢を攻め殺した後「神上使」を自称し、宛県城を拠点とした。

しかし、同年夏6月に後任の南陽太守秦頡の軍勢に敗れ、捕らえられて処刑された。

配下の趙弘韓忠孫夏らが相次いで指揮を引き継いだもののいずれも討たれ、南陽黄巾軍は消滅した。

関連項目

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