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張書翰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
張書翰
吉林省教育庁長時代(1935年)
プロフィール
出生: 1891年[1]
死去: 不詳
出身地: 清の旗 吉林将軍管轄区伊通州[1]
職業: 官僚
各種表記
繁体字 張書翰
簡体字 张书翰
拼音 Zhāng Shū hàn
ラテン字 Chang Shuh-han
和名表記: ちょう しょかん
発音転記: ジャン・シューハン(チャン・シューハン)
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張 書翰(ちょう しょかん)は満州国官僚。原籍は山東省済南府徳平県[2]。別号は小斎[1]

事績

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天津の北洋法政専門学校法律専科を卒業。黒河道尹公署財政科長、黒河道立師範学校校長、山東省会警察庁行政科長、浙江省公署秘書、山東省長公署秘書、内務部秘書などを経て、1924年(民国13年)当時は濱江県知事の地位に在った[2]

1932年大同元年)に満州国が成立すると、張書翰は吉林省公署参事官となる。同省公署では1934年康徳元年)に教育庁長、1936年(康徳3年)に民政庁長を歴任する。1937年(康徳4年)に満州国中央へ移り、内務監督署長となった。1939年(康徳6年)8月、丁超の後任として通化省長になると1941年(康徳8年)6月2日までつとめ[1]、その後に総務庁参事官に転じた[3]。同年12月27日には満洲重工業開発理事に選任されている[4]

以後、張書翰の行方は不詳。なお、『大衆人事録 第13版 外地・満支・海外篇』(昭和15年刊行)、「満洲」96頁には張に関する記載があるものの、次版の第14版(昭和18年11月刊行)から当該記載が脱落している。

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  1. ^ a b c d 尾崎監修(1940)、27頁。
  2. ^ a b 田邊編(1924)、552-553頁。
  3. ^ 「通化省長更迭」『朝日新聞』1941年6月3日、2面。
  4. ^ 山本三夫「満洲経済時評」『鉱工満州』3巻2号、1942年2月、26頁。

参考文献

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  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
  • 田邊種治郎編『東三省官紳録』東三省官紳録刊行局(大連)、1924年。 
  • 『省政彙覽 第一輯 吉林省篇(日文)』国務院総務庁情報処、1935年。 
  • 尾崎秀実監修「アジア人名辞典」『アジア問題講座 第十二巻』創元社、1940年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第13版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社ほか、1940年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社ほか、1943年。 
  満州国
先代
丁超
通化省長
1939年8月 - 1941年6月
次代
姜全我