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張文生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
張文生
『改訂 現代支那人名鑑』(1928年)
プロフィール
出生: 1867年同治6年)
死去: 1937年民国26年)
中華民国の旗 中華民国
出身地: 清の旗 江蘇省徐州府沛県
職業: 軍人
各種表記
繁体字 張文生
簡体字 张文生
拼音 Zhāng Wénshēng
ラテン字 Chang Wen-sheng
和名表記: ちょう ぶんせい
発音転記: ジャン ウェンション
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張 文生(ちょう ぶんせい)は清末民初の軍人。張勲率いる定武軍の指揮官の1人。後に安徽派に属した。星五

事跡

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清末には、長江江防営統領、徐州鎮総兵などを歴任した。1912年民国元年)、定武軍において統領に任命され、徐州鎮守使、蘇皖豫魯四省剿匪督弁などをつとめた。

1917年(民国6年)、張勲の復辟に従った。復辟失敗後、張文生は安徽派倪嗣沖に接近し、定武軍総統領官に任命された。1920年(民国9年)、安徽督軍に任命された。1922年(民国11年)、直隷派馬聯甲に駆逐され、下野した。

1937年(民国26年)、死去。享年71。

参考文献

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  • 来新夏ほか『北洋軍閥史 下冊』南開大学出版社、2000年。ISBN 7-310-01517-7 
  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
 中華民国の旗 中華民国北京政府
先代
倪嗣沖
安徽督軍
1920年9月 - 1922年10月
(1921年9月まで署理)
次代
馬聯甲(安徽督理)