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張城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
張 城
장성
生誕 1939年3月28日
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮忠清北道永同郡
所属組織 大韓民国陸軍
最終階級 大将
除隊後 非常企画委員会委員長
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張 城(チャン・ソン、朝鮮語: 장성1939年3月28日 - )は大韓民国軍人。最終階級は陸軍大将。

なお、彼の氏名は韓国語で将官を意味する「将星」(朝鮮語: 장성)と同じ発音である。

人物

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清州高等学校朝鮮語版を経て1958年7月1日、韓国陸軍士官学校に入学(18期)。陸軍大学卒業後、第2連隊長、第24代歩兵第25師団長第2軍団長等を歴任し、1993年には金泳三政権下で非ハナフェとして国防部政策室長に登用される。同年11月陸士校長に就任、同職在任中の1994年に栗谷事業朝鮮語版特別監査兼国防制度改革委員長に抜擢され、革新的な制度改革案を提案。こうしたことが更に金大統領の信任を厚くし[1]、大将就任後、米韓連合司令部副司令官に就任。

就任間もない6月に寧辺核施設爆撃計画が上がった際、北朝鮮による報復を恐れ、第3野戦軍司令官尹龍男朝鮮語版大将とともに地上構成軍先任将校の鄭京泳中佐[† 1][2]を通じ、脅威である長射程砲の無力化が特戦による地上破壊・米軍による空爆ともに極めて困難である事を主張した[3]。1996年の任期終了後予備役に編入。

1997年、非常企画委員会朝鮮語版委員長を務めた。

金大中政権時代は1999年5月の内閣改造にて国防部長官[4][5]外交安保首席秘書官朝鮮語版[6]の有力候補にも挙がっていた。

年譜

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  • 1962年2月26日:陸軍士官学校卒業(18期)
  • 1974年:陸軍大学修了
  • 1981 - 1982年:歩兵第6師団第2連隊長
  • 1983 - 1983年:合同参謀戦略企画局軍事戦略課長
  • 1984 - 1986年:国防部投資事業調整官
  • 1987 - 1988年:歩兵第25師団長
  • 1989 - 1990年:陸軍本部政策企画室長
  • 1990年12月26日:中将[7]
  • 1990 - 1992年:第2軍団長
  • 1993年:国防部政策室長
  • 1993年11月1日:陸士校長
  • 1994年
    • 4月18日:大将[8]
    • 4月19日:米韓連合司令部副司令官
  • 1996年10月21日:予備役
    • 12月20日:緊急企画委員会委員長

脚注と出典

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脚注

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  1. ^ 陸士33期出身、のちに大佐を予備役に編入し、国防専門家フォーラム会長・東アジア国際戦略研究所長・韓国安保平和統一研究院安保研究所長を歴任した。

出典

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  1. ^ “陸軍将軍人事竜巻/「ハナフェ」枯らし霜(육군장성 인사회오리/「하나회」 된서리)”. 中央日報. (1994年4月16日). http://news.joins.com/article/2875751?cloc=joongang%7Carticle%7Ctagnews 2016年4月18日閲覧。 
  2. ^ 2014専門家フォーラム 特講 鄭京泳所長[東アジア国際戦略研究所](2014전문가포럼 특강 정경영 소장[동아시아국제전략연구소], 東北亜共同体研究財団, (2014-01-07), p. 2, オリジナルの2018-01-29時点におけるアーカイブ。, https://archive.is/TVmVR 
  3. ^ “韓国軍の椅子蹴った米軍将校…「連合軍司令部から消え失せろ!」【軍事主権を奪われた国の悲劇9】韓米連合司令部③(한국군 의자 걷어찬 미군 장교... "연합사에서 꺼져!"[군사주권을 빼앗긴 나라의 비극 9]한미연합사령부③)”. オーマイニュース. (2014年11月11日). http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002051664 2016年4月18日閲覧。 
  4. ^ “国軍の頭脳 国防部政策室の人脈が浮上 ノウハウをもとに二長官、四大将排出(國軍의 두뇌 국방부 정책실 인맥의 浮上 전문성을 바탕으로 두 장관, 네 大將 배출)”. 月刊朝鮮. (1999年11月10日). http://monthly.chosun.com/client/news/viw.asp?ctcd=&nNewsNumb=199911100028 2016年4月18日閲覧。 
  5. ^ “【DJT組閣本格調律/人事ファイル】外部人事([DJT 組閣 본격조율/인사파일]외부인사)”. 東亜日報. (1998年2月18日). http://news.donga.com/View?gid=7323234&date=19980218 2016年4月18日閲覧。 
  6. ^ “【改閣秒読み】強い改革2期内閣焦点([개각 초읽기]강한 개혁2기 내각 초점)”. 京郷新聞. (2000年8月3日). http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=200008031949131&code=910100 2016年4月18日閲覧。 
  7. ^ 노태우 대통령 조남풍 중장 외 11명 진급 및 보직신고. 《국가기록원》. 1990년 12월 26일
  8. ^ 김영삼 대통령 군 보직 및 진급신고 받음. 《e-영상역사관》. 1994년 4월 18일

外部リンク

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軍職
先代
林福鎮
歩兵第25師団長
第24代:1987 - 1988
次代
金武雄
先代
千容宅
第2軍団長
第31代:1990 - 1992
次代
金吉夫
先代
金正憲
陸士校長
第37代:1993.11.1 - 1994.4.18
次代
金正男
先代
金在昌
国防部政策室長
第3代:1993
次代
趙成台
先代
金在昌朝鮮語版
米韓連合司令部副司令官
第9代:1994.4.19 - 1996.10.21
次代
金東信
公職
先代
朴益淳
大韓民国の旗 大韓民国非常企画委員会委員長
第12代:1996.12.20 - 1998.3.3
次代
金鎭渲