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弟村王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

弟村王(おとむらおう、生没年不詳)は、平安時代初期の皇族知太政官事舎人親王の曾孫。従五位下・猪名王の子。官位正五位下筑後守

経歴

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大同5年(810年薬子の変の発生に前後して、従五位下図書頭に叙任される。弘仁3年(812年玄蕃頭に転じ、同年に布勢内親王薨去した際には葬儀を監護した。弘仁4年(813年筑後守の任にあったが、播磨介藤原藤成らとともに夷俘に対応(教喩および要請の処理)するための専当官に任ぜられている。弘仁6年(816年)には筑後守に再任された。

淳和朝に入り、天長2年(825年)従五位上、天長7年(830年正五位下と昇進を果たしている。

官歴

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日本後紀』による。

系譜

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  • 父:猪名王[1]
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女

脚注

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  1. ^ a b 日本三代実録』貞観3年2月29日条
  2. ^ a b c 宝賀[1986:135]

参考文献

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