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弘済寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
弘済寺こうさいじ
本堂
本堂 地図
所在地 神奈川県南足柄市弘西寺131
位置 北緯35度19分47.75秒 東経139度5分15.12秒 / 北緯35.3299306度 東経139.0875333度 / 35.3299306; 139.0875333座標: 北緯35度19分47.75秒 東経139度5分15.12秒 / 北緯35.3299306度 東経139.0875333度 / 35.3299306; 139.0875333
山号 法雨山
院号 金剛幢院
宗旨 真言宗
宗派 東寺真言宗
寺格別当寺
本尊 不動明王
中興年 1409年(応永16年)
中興 栄海
別称 弘済密寺
公式サイト 「空の教え 海の祈り」 東寺真言宗 弘済寺
弘済寺の位置(神奈川県内)
弘済寺
弘済寺
弘済寺 (神奈川県)
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弘済寺山門

弘済寺(こうさいじ)は、神奈川県南足柄市弘西寺に所在する東寺真言宗の寺院。本尊は不動明王、南足柄七福寺めぐり(廃寺善福寺)預かり寺である。弘済密寺(こうさいみつじ)とも称される。

歴史

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弘済寺の創建年代等は不詳ながら、新編相模国風土記稿によれば、室町時代の初期となる、1409年応永16年)に僧「栄海」によって中興とされている。境内にある地蔵堂に安置されている木造地蔵菩薩坐像は、鎌倉時代から南北朝期の仏像とされており、開山はそれ以前であったと推察されている[1]

また矢倉明神社(現足柄神社)の別当寺を勤めていたとされる。万葉の時代から、足柄街道(旧東海道)の要所にあったこの地に、現世利益(この世においておかげを授かる)の密教寺院として、現在に至る。

文化財

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アクセス

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電車・バス

  • 大雄山線大雄山駅より徒歩約25分(2km)
  • 大雄山駅より地蔵堂方面行きバスにて6分(弘西寺バス停下車)+徒歩3分。
  • 大雄山駅よりタクシーにて5分。

乗用車

駐車場は境内西側にある。

脚注

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  1. ^ 間宮士信 等 編「足柄上郡 9 苅野庄・弘西寺村」『『新編相模国風土記稿』第1輯』 20巻、鳥跡蟹行社、1884年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763967/3622024年11月11日閲覧 

注釈

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  1. ^ 本像は像高65.3センチ、寄木造玉眼、肉身は漆箔、着衣は褐色漆塗、裳裾を台座よりさらに下にたらしている法衣垂下像である。白毫・玉眼・台座・光背は後で補修されている。ひきしまった顔、バランスのとれた体躯などよくまとまった作である。胎内には次の意味の修理銘札が納められていた。「地蔵尊の再興施主雨坪村後藤太郎右衛門、鎌倉仏師後藤勘弥、元禄一三庚辰年(1700)六月上旬相模國足柄上郡苅野荘弘済寺村法雨山弘済寺金剛幢院住法印権大僧都大阿闍梨覚源欽修」 この時、前記の白毫・玉眼等の修理がされたのであろう。法衣垂下形式の地蔵座像は大変珍しい。鎌倉時代末から南北朝時代の作である。(南足柄市教育委員会掲示より)

参考文献

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  • 新編相模國風土記稿
  • 「南足柄市史」

外部リンク

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弘済寺ホームページ「空の教え海の祈り」