弘前市立城西小学校
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弘前市立城西小学校 | |
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北緯40度36分38秒 東経140度27分31秒 / 北緯40.610694度 東経140.458583度座標: 北緯40度36分38秒 東経140度27分31秒 / 北緯40.610694度 東経140.458583度 | |
過去の名称 |
城西小学 城西尋常小学校 城西国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 弘前市 |
併合学校 |
博習小学 自彊小学 |
設立年月日 | 1883年10月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B102210000589 |
所在地 | 〒036-8346 |
青森県弘前市大字新町236番1号 | |
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弘前市立城西小学校(ひろさきしりつ じょうせいしょうがっこう)は青森県弘前市新町にある公立小学校。
沿革
[編集]- 1883年(明治16年)10月1日 - 博習小学(鷹匠町)と自彊小学(袋町)が統合し、五十石町に城西小学発足。
- 1886年(明治19年)8月1日 - 城西尋常小学校と改称。
- 1896年(明治27年)6月 - 校舎新築。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、城西国民学校と改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、弘前市立城西小学校と改称。
- 1948年(昭和23年)9月 - 盲ろう学級設置。
- 1950年(昭和25年)5月 - 盲ろう学級が独立、県に移管し、県立弘前盲ろう学校となる。
- 1956年(昭和31年)9月 - 旧駒越村の一部河東地区(河原町・樋の口町)が弘前市に編入されたため、該当地区が、本校の学区に編入。
- 1958年(昭和33年)8月 - 岩木川大出水により、本校が、罹災避難場になる。
- 1961年(昭和36年)4月 - 従来の自由学区(藤代字萢中・字岩井及び和田地区)が、本校の通学区に編入。
- 1967年(昭和42年)3月 - 新町236番地の旧第二中学校校舎に移転。
- 1971年(昭和46年)3月 - 校舎増築落成記念式挙行。
- 1972年(昭和47年)4月 - 弘前市立西小学校開設に伴い、城西地区を学区から分離。
- 1973年(昭和48年)10月 - 創立90周年記念式典挙行。
- 1991年(平成3年) - 校舎改築開始。
- 1993年(平成5年)6月 - 新校舎竣工[1]。
- 2010年(平成22年) - 耐震補強実施[2]。
- 2015年(平成27年) - 防災機能強化[2]。
- 2019年(令和元年) - この年と翌年、大改空調[2]。
- 2020年(令和2年) - 大改トイレ[2]。
- 2023年(令和5年)10月7日 - 創立140周年記念式典挙行[3]。
- 2027年(令和9年) - 屋根改修[2]。
学区
[編集]栄町全域、馬屋町、鷹匠町、新町、南袋町、駒越町、平岡町、西大工町、袋町、五十石町、紺屋町、河原町、和田町、樋の口1丁目の一部、浜の町東1丁目、浜の町西1丁目の一部、浜の町西2丁目の一部。
周辺
[編集]- 誓願寺
- 専求院
- 竜泉院
アクセス
[編集]- 弘南バス「紺屋町角」バス停(青森県道31号弘前鯵ケ沢線沿い)下車後、徒歩約480m・約7分。なお、「工業高校前」バス停など、青森県道3号弘前岳鰺ケ沢線沿いのバス停からは、倍以上の距離がある。
出身著名人
[編集]脚注
[編集]- ^ 施行作品 - 完成プロジェクト紹介(弘前市立城西小学校) - (株)マルノ建築設計
- ^ a b c d e 弘前市学校施設個別施設計画 (PDF) - 弘前市教育委員会(令和2年3月策定、令和3年10月・令和4年11月・令和5年10月変更)
- ^ a b 冒険家の母校・城西小140周年式典/弘前 - 陸奥新報電子版・2023年10月8日配信
- ^ 猛虎人国記(5)~青森県~ - スポニチアネックス(2012年3月27日配信)・これに本校出身の内容の記載あり。
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)「学校沿革 (一)小学校」714頁「城西小学校」(1972年の項まで)
- 『弘前市教育史 別巻・年表 学校沿革 索引』(弘前市教育委員会・1979年3月12日)「学校沿革」170頁「城西小学校」(1973年の項まで)
- 弘前市教育委員会ホームページ[要ページ番号]
- 角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)[要ページ番号]