コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

弓削幸太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

弓削 幸太郎(ゆげ こうたろう、1881年〈明治14年〉8月28日[1] - 1957年〈昭和32年〉12月16日[2]は、朝鮮総督府官僚。位階は正四位。勲等は勳三等。

弓削幸太郎

経歴

[編集]

岡山県赤磐郡豊田村(現在の赤磐市)出身[1]。弓削新平の孫[3]1900年(明治33年)、日本法律学校(現在の日本大学)法科を卒業[4]1904年(明治37年)に高等文官試験に合格[1]専売局属、千葉県属、同警視鹿児島県事務官、朝鮮総督府書記官、同学務課長、同宗教課長、同鉄道部長を歴任した[1][5]

退官後は復興建築助成株式会社取締役・支配人[4]中央朝鮮協会理事、中央協和会理事、東京府協和会理事を務めた[5]。終戦後は千葉県農地委員となった[3]

著書

[編集]
  • 『朝鮮の教育』(自由討究社、1923年)
  • 『朝鮮を訪ふ』(竹柏会、1939年)
  • 『朝鮮施政史』(中央協和会、1943年)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d 大衆人事録 1930.
  2. ^ 「消息」『心の花』第62巻第3号、竹柏会、1958年3月、53頁、NDLJP:60616892024年10月2日閲覧 
  3. ^ a b 人事興信所 1948, ユ3頁.
  4. ^ a b 人事興信録 1937.
  5. ^ a b 人事興信録 1941.

参考文献

[編集]
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版(下)』人事興信所、1937年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版(下)』人事興信所、1941年。 
  • 人事興信所 編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2997935