弓削幸太郎
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弓削 幸太郎(ゆげ こうたろう、1881年〈明治14年〉8月28日[1] - 1957年〈昭和32年〉12月16日[2]は、朝鮮総督府官僚。位階は正四位。勲等は勳三等。
経歴
[編集]岡山県赤磐郡豊田村(現在の赤磐市)出身[1]。弓削新平の孫[3]。1900年(明治33年)、日本法律学校(現在の日本大学)法科を卒業[4]。1904年(明治37年)に高等文官試験に合格[1]。専売局属、千葉県属、同警視、鹿児島県事務官、朝鮮総督府書記官、同学務課長、同宗教課長、同鉄道部長を歴任した[1][5]。
退官後は復興建築助成株式会社取締役・支配人[4]、中央朝鮮協会理事、中央協和会理事、東京府協和会理事を務めた[5]。終戦後は千葉県農地委員となった[3]。
著書
[編集]- 『朝鮮の教育』(自由討究社、1923年)
- 『朝鮮を訪ふ』(竹柏会、1939年)
- 『朝鮮施政史』(中央協和会、1943年)
脚注
[編集]- ^ a b c d 大衆人事録 1930.
- ^ 「消息」『心の花』第62巻第3号、竹柏会、1958年3月、53頁、NDLJP:6061689、2024年10月2日閲覧。
- ^ a b 人事興信所 1948, ユ3頁.
- ^ a b 人事興信録 1937.
- ^ a b 人事興信録 1941.
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版(下)』人事興信所、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版(下)』人事興信所、1941年。
- 人事興信所 編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年 。