式守与太夫 (8代)
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基礎情報 | ||||
行司名 | 式守要人 → 式守喜三郎 → 式守要人 → 式守喜三郎 → 8代式守与太夫 | |||
本名 |
いとう きさぶろう 伊藤 喜三郎 | |||
生年月日 | 1892年7月6日 | |||
没年月日 | ????年??月??日[1] | |||
出身 | 日本・東京都 | |||
所属部屋 | 伊勢ノ海部屋 → 錦島部屋 | |||
データ | ||||
現在の階級 | 引退 | |||
最高位 | 三役格 | |||
初土俵 | 1902年春場所 | |||
幕内格 | 1918年夏場所 | |||
三役格 | 1939年春場所 | |||
引退 | 1959年11月 | |||
備考 | ||||
8代式守与太夫(はちだい しきもり よだゆう、1892年7月6日 - ?[1] )は、大相撲の元三役格行司。三役格としての在位期間は1939年1月~1959年11月。本名、伊藤喜三郎。
人物
[編集]東京生まれで本所の銭湯要湯の三男。伊勢ノ海部屋→錦島部屋所属。式守要人で初土俵。1902年1月番付行司欄に載る。のち式守喜三郎と改める。1913年春場所から1915年春場所まで兵役のためか番付から消える。1915年時点では青白房(十両格)であった。1918年夏場所2日目に本足袋(幕内格)に昇格。1919年春場所、式守要人に改名。1929年春場所、式守喜三郎と改める。1936年5月式守与太夫を襲名。
1939年1月三役格に昇進。以来20年間三役格行司で在位し続けたが草履をはくことはできず、立行司にも昇進できなかった。
1959年11月限り行司に定年制度が実施されることになり、67歳で定年退職。1960年1月他の引退する4名の行司と引退相撲を行う。しばらく健在だったようだがその後の消息は不明。
略歴
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “13代木村庄太郎、8代式守与太夫の没年を知りたい。”. 国立国会図書館. 2023年12月6日閲覧。