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廣根徳太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

廣根 徳太郎(ひろね とくたろう、1906年 - 1995年)は、日本物理学者東北大学名誉教授。元山形大学学長。元日本金属学会会長。紫綬褒章受章。

人物・経歴

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1928年(昭和3年)東北帝国大学理学部物理学科卒業。茅誠司(実験)、増本量(応用)らとともに本多光太郎の下で研究を行い、磁性理論を担当し、広根―彦坂理論を提唱。1931年(昭和6年)理化学研究所助手。1938年(昭和13年)理学博士。1939年(昭和14年)理化学研究所研究員。1940年(昭和15年)東北帝国大学助教授。1944年(昭和19年)同教授。1946年(昭和21年)日本金属学会功績賞受賞。1960年(昭和35年)大河内記念技術賞受賞。1962年(昭和37年)東北大学金属材料研究所所長。1965年(昭和40年)本多記念賞受賞。1967年(昭和42年)紫綬褒章受章[1][2]。1968年(昭和43年)日本金属学会会長[3]。1970年(昭和45年)山形大学学長[4]。1987年(昭和62年)電気磁気材料研究所理事長[5]原水爆禁止日本協議会筆頭代表理事なども務めた[6]

1947年(昭和27年)8月6日昭和天皇戦後巡幸で東北帝国大学金属材料研究所を視察した際には、鉄のバルクハウゼン効果についての実験の説明を行った[7]

編書

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  • 『100万人の金属学 4 科学編』アグネ 1969年

脚注

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  1. ^ 國富信彦「広根徳太郎先生を悼む」『日本物理学会誌』第50巻第10号、日本物理学会、1995年、830頁、doi:10.11316/butsuri1946.50.10.830ISSN 0029-0181 
  2. ^ 東北大学史料館「著作目録(広根徳太郎)」第42巻、東北大学史料館、1969年。 
  3. ^ 歴 代 会 長日本金属学会
  4. ^ 歴代学長山形大学
  5. ^ 変遷と沿革電気磁気材料研究所
  6. ^ 「原水協が88年度の運動方針決める」『読売新聞』1988年5月9日東京朝刊2頁参照。
  7. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、392頁。ISBN 978-4-487-74410-7 
先代
増本量
電気磁気材料研究所理事長
1987年 - 1990年
次代
神田英蔵
先代
細谷恒夫
山形大学学長
1970年 - 1982年
次代
久佐守
先代
小林佐三郎
日本金属学会会長
1968年 - 1969年
次代
今井勇之進