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廉州(れんしゅう)は、中国にかつて存在した州。隋代から唐初にかけて、現在の河北省石家荘市藁城区一帯に設置された。
590年(開皇10年)、隋により高城県に廉州が置かれた。605年(大業元年)、廉州は廃止されて趙州に編入された。607年(大業3年)、趙州は趙郡と改称された[1]。617年(義寧元年)、趙郡から鉅鹿郡が分割設置された。
618年(武徳元年)、唐により鉅鹿郡は廉州と改められた。その年のうちに廉州は竇建徳に奪われた。621年(武徳4年)、唐が竇建徳を平定すると、再び廉州が置かれた。627年(貞観元年)、廉州は廃止された[2]。
- ^ 『隋書』地理志中
- ^ 『旧唐書』地理志二