府中愛宕山古墳
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府中愛宕山古墳 | |
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墳丘 (手前に後円部、右奥の建物後背に前方部) | |
所属 | 舟塚山古墳群 |
所在地 | 茨城県石岡市北根本 |
位置 | 北緯36度10分12.60秒 東経140度17分36.06秒 / 北緯36.1701667度 東経140.2933500度座標: 北緯36度10分12.60秒 東経140度17分36.06秒 / 北緯36.1701667度 東経140.2933500度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 |
墳丘長96.6m 高さ8.5m(後円部) |
埋葬施設 | 不明 |
出土品 | 土師器壺・埴輪 |
築造時期 | 6世紀初頭 |
史跡 | 茨城県指定史跡「府中愛宕山古墳」 |
地図 |
府中愛宕山古墳(ふちゅうあたごやまこふん)は、茨城県石岡市北根本にある古墳。形状は前方後円墳。舟塚山古墳群を構成する古墳の1つ。茨城県指定史跡に指定されている。
概要
[編集]茨城県中部、恋瀬川流域の台地上に築造された古墳である。南西約300メートルには舟塚山古墳があり、霞ヶ浦との位置関係から愛宕山古墳は「出舟(出船)」、舟塚山古墳は「入舟(入船)」と通称される[1]。愛宕山古墳については1897年(明治30年)に発掘調査が実施されているほか、1979年(昭和54年)に周溝確認の発掘調査が実施されている[1]。
墳形は前方後円形で、前方部を南東方に向ける。墳丘周囲には周濠が巡らされている[2]。明治の調査の際には無文素焼(土師器)の壺7個が発見されたというほか、墳丘から形象埴輪が出土したというが、詳細は不明[1]。築造年代は、古墳時代後期の6世紀初頭頃と推定される[1]。
古墳域は1971年(昭和46年)に茨城県指定史跡に指定されている[3]。
遺跡歴
[編集]墳丘
[編集]墳丘の規模は次の通り[1]。
- 墳丘長:96.6メートル
- 後円部
- 直径:57メートル
- 高さ:8.5メートル
- 前方部
- 幅:57メートル
- 高さ:7.5メートル
墳形の築造企画は、誉田御廟山古墳(大阪府羽曳野市)との類似が指摘される[1]。墳丘周囲に巡らされた周濠の幅は、後円部側で約16メートル、前方部側で約24メートルを測る[2]。
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前方部から後円部を望む
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後円部から前方部を望む
文化財
[編集]茨城県指定文化財
[編集]- 史跡
- 府中愛宕山古墳 - 昭和46年12月2日指定[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 史跡説明板(石岡市教育委員会、2014年設置)
- 地方自治体発行
- 「愛宕山古墳」『茨城県史料 考古資料編 古墳時代』茨城県、1974年、68頁。
- 事典類
- 「舟塚山古墳・愛宕山古墳」『日本歴史地名大系 8 茨城県の地名』平凡社、1982年。ISBN 4582490085。
- 諸星政得「愛宕山古墳 > 府中愛宕山古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。