広部周助
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広部 周助(廣部 周助[1][2][3]、ひろべ しゅうすけ、1875年(明治8年)5月11日[3] - 1907年(明治40年)8月1日[2])は、日本の経済学者。京都帝国大学法科大学助教授[2][4]。
人物
[編集]千葉県君津郡富岡村上根岸の人[3]。千葉中学、第一高等学校を経て[4]、1900年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[1]。農商務省に入り、工場法案の調査を嘱託される[3]。かたわら専修学校などの講師をしていたが、1902年、京都帝国大学法科大学助教授となる[4]。1905年、政治経済学研究のため独・米・英の三国に留学を命ぜられる[3]。ミュンヘン大学に入る[2]。統計調査に従事する[4]。
1907年8月1日、病を得てミュンヘンで亡くなる[4]。葬儀が9月17日洛東智積院で行われ、井上学長と学生清瀬とが弔詞を読む[4]。広部について同僚友人の神戸正雄は、「法学士廣部周助君小傳」で「経済学は其の専攻する所にして就中統計学、工業経済論に於て造詣最深い」ことなどを記している[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『東京帝国大学一覧 明治33-34年』東京帝国大学、1886 - 1912年。
- 千葉県君津郡教育会編『千葉県君津郡誌 下巻』君津郡教育会、1927年。
- 大植四郎編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年。