広瀬経一
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広瀬 経一(ひろせ けいいち、旧字:廣瀨經一。1896年3月7日 - 1986年2月18日)は、日本の大蔵官僚、銀行家。北海道拓殖銀行頭取を務めた。香川県出身[1]。
経歴・人物
[編集]高松中學校[2]、第三高等学校を経て、1920年に京都帝国大学政治科を卒業し、同年に大蔵省に入省[1]。札幌税務署長時代の1939年に、ニッカウヰスキーの品質証明を担当した[3]。1942年、神戸税関長を最後に退官。
1945年に北海道拓殖銀行副頭取に就任し、1947年には頭取に昇格[1]。1962年3月に会長に就任し、1973年11月には相談役に就任[1]。頭取就任後に債権整備法に基づき不良債権を切り捨てるための9割減資を強行し、さらにその半年後には100倍強の増資をするという「荒療治」を行い、戦後の拓銀の飛躍を築いた[3]。
1952年に第11代札幌商工会議所会頭に就任し、21年にわたってその任に就いた。
1986年2月18日消化管出血のために死去[4]。89歳没。
栄典
[編集]出典・脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第33版 下』人事興信所、1985年。
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