広沢晴海
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初代
[編集]広沢晴海(1897年 - 1986年11月13日)本名、亀喜一郎。
和歌山県和歌山市の生まれ、小学校卒業後魚屋に就職、1910年にその魚屋の社長の縁で2代目広沢虎吉に入門し翌年に広沢晴海の名で初舞台。戦前からラジオで活躍。戦後も長らく活動したが1964年に弟子の小晴海に「晴海」の名を譲り1967年に引退興行を四天王寺会館で行ない引退した。
2代目
[編集]広沢晴海(1933年 - 没年不詳)本名、大垣内照。
大阪府大阪市西区の生まれ、1947年に初代に入門し小晴海を名乗る、翌年に徳島県南海座で初舞台。1964年に師匠が引退に伴い「晴海」の名を襲名する。珍しいネタが多く独特のケレン読みを得意とした。得意ネタには「水戸黄門」「天保白浪五人男」や師匠譲りの「相馬大作」など。
参考文献
[編集]- 「現代上方演芸人名鑑」(1980年、少年社)