コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

広橋賢光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
広橋賢光
ひろはし まさみつ
生年月日 1855年9月29日
出生地 日本の旗 日本 山城国京都
(現京都府京都市)
没年月日 (1910-03-21) 1910年3月21日(54歳没)
前職 帝室制度調査局御用掛
称号 勲三等瑞宝章
勲四等瑞宝章
勲五等瑞宝章
勲六等単光旭日章
子女 長男・広橋真光
親族 兄・藤波言忠(貴族院議員)
義弟・鍋島直大(貴族院議員)

在任期間 1890年7月10日 - 1897年7月9日
テンプレートを表示

広橋 賢光(ひろはし まさみつ、1855年9月29日(安政2年8月19日)- 1910年明治43年)3月21日[1])は、明治期の官僚政治家華族貴族院伯爵議員

経歴

[編集]

山城国京都権大納言広橋胤保の第三子として生まれる[1][2]。父の死去に伴い1876年12月5日、家督を相続[1]1884年7月7日、伯爵を叙爵した[3]

1876年、内務省に入省[4]。以後、参事院議官補、法制局参事官福岡県書記官、同第一部長、内務書記官、内務省参事官、同地理局長、内閣記録局長兼文事秘書官、宮内省調査局長、帝室制度調査局御用掛などを歴任[2][4][5]

1882年伊藤博文憲法調査に随行してヨーロッパ各国を訪問し、1883年に帰国した[5]

1890年7月10日、貴族院伯爵議員に選出され、1897年7月9日まで在任した[4]

栄典

[編集]

親族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成』下巻、427-428頁。
  2. ^ a b 『明治過去帳』新訂初版、1155頁。
  3. ^ 『官報』第307号、明治17年7月8日。
  4. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』29頁。
  5. ^ a b 『海を越えた日本人名事典』新訂増補、581頁。
  6. ^ 参事院議官補西園寺公望外八名叙勲」 アジア歴史資料センター Ref.A15110025800 
  7. ^ 『官報』第1650号「授爵叙任及辞令」1888年12月27日。
  8. ^ 『官報』第3451号「叙任及辞令」1894年12月27日。
  9. ^ 『官報』第5243号「叙任及辞令」1900年12月21日。
  10. ^ 広橋家(名家) - Reichsarchiv ~世界帝王事典~

参考文献

[編集]
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
  • 富田仁編『海を越えた日本人名事典』新訂増補、日外アソシエーツ、2005年。
  • 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
日本の爵位
先代
叙爵
伯爵
広橋家初代
1884年 - 1910年
次代
広橋真光