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広橋国子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

広橋 国子(ひろはし くにこ、大永4年(1524年) - 弘治3年9月11日1557年10月3日))は、後奈良天皇典侍。父は内大臣広橋兼秀藤原国子とも呼ばれる。従三位

生涯

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内大臣広橋兼秀の娘として生まれる。母は勧修寺政顕の四女。享禄3年(1530年)に後奈良天皇典侍となる。天文21年(1552年)に聖秀女王を生む[1][2]

弘治3年9月11日1557年10月3日)、死去。享年43。法名は貞誉[1]

脚注

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  1. ^ a b 「日本人名大辞典」(講談社
  2. ^ 「戦国時代の宮廷生活」(奥野高廣続群書類従完成会2004年