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広根諸勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
広根諸勝
時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位上摂津介
主君 桓武天皇平城天皇嵯峨天皇
氏族 広根朝臣
父母 父:光仁天皇、母:県犬養勇耳
兄弟 能登内親王開成山部親王
早良親王薭田親王酒人内親王
他戸親王弥努摩内親王諸勝
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広根 諸勝(ひろね の もろかつ)は、平安時代初期の皇族貴族朝臣光仁天皇の子[1][2][3]官位従五位上摂津介

経歴

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延暦6年(787年桓武天皇皇子岡成と共に臣籍降下し、諸勝は広根朝臣姓を与えられる。

大同5年(810年)9月の薬子の変発生に伴って行われた叙位任官にて従五位下山城介に叙任されるが、10月には摂津介に転じる。弘仁5年(814年嵯峨天皇摂津国の交野と水生野(水無瀬野)に行幸して狩猟を行った際に、山城摂津河内国国司が叙位を受けたが、この際に諸勝は従五位上に昇叙されている。

官歴

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六国史』による。

系譜

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脚注

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  1. ^ 西口, 圭介、別府, 洋二、池田, 征弘、大本, 朋弥、多賀, 茂治、青木, 哲也、株式会社加速器分析研究所、パリノ・サーヴェイ株式会社『広根遺跡』 492巻兵庫県神戸市中央区下山手通5丁目10番1号〈兵庫県文化財調査報告〉、2017年3月24日(原著2017年3月24日)。doi:10.24484/sitereports.20215NCID BB25306817https://sitereports.nabunken.go.jp/20215 
  2. ^ 第15話 広根の繁栄/猪名川町 - 猪名川町のホームページ”. 2023年11月5日閲覧。
  3. ^ 浅尾広良「女御・更衣と賜姓源氏」『中古文学』第81巻、中古文学会、2008年6月、1-18頁、CRID 1390282763115254784doi:10.32152/chukobungaku.81.0_1ISSN 02874636NAID 1300076512522023年11月7日閲覧 

参考文献

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