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広岡屋幸助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

広岡屋 幸助(ひろおかや こうすけ、文政11年(1828年)‐大正7年(1918年7月14日)は江戸時代から明治時代にかけての江戸地本問屋

来歴

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広幸、菊寿堂、栄泉堂と号す。姓は広岡氏。安政6年(1859年)から明治年間にかけて江戸の住吉町清次郎店、後に南新堀2丁目定兵衛店、深川佐賀町忠兵衛地借、明治26年(1893年)には日本橋呉服町26番地において地本問屋を営業している。安政6年5月に地本草紙問屋に加入した。歌川芳房落合芳幾月岡芳年錦絵を出版している。

大正7年7月14日、91歳で没した。

作品

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  • 歌川芳房 「見立十干之内 普請の木 此下猿吉郎」 大判 錦絵 万延1年(1860年)
  • 落合芳幾 「国芳死絵」 大判 錦絵 文久1年(1861年)
  • 落合芳幾 「時世粧年中行事之内 競細腰雪柳風呂」 大判3枚続 錦絵 明治1年(1868年)
  • 月岡芳年 「城州伏見下鳥羽合戦之図」 大判3枚続 錦絵 明治7年(1874年)

参考文献

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