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平貞文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
平 貞文
時代 平安時代前期
生誕 貞観14年(872年)?
死没 延長元年9月27日923年10月9日
別名 定文、平中
官位 従五位上左兵衛佐
主君 醍醐天皇
氏族 桓武平氏
父母 父:平好風
兄弟 貞文藤原守義室、等子
安快、兼時、時経、信臣
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平 貞文(たいら の さだふみ/さだふん)は、平安時代前期の貴族歌人。名は定文とも記される。桓武平氏右近衛中将平好風の次男。官位従五位上左兵衛佐中古三十六歌仙の一人。一般に平中(へいちゅう/へいぢゅう)と呼ばれた[1]

経歴

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清和朝貞観16年(874年)父・好風と共に平姓を賜与され臣籍降下する。

宇多朝寛平3年(891年内舎人に任官したのち、右馬権少允右兵衛少尉を経て、醍醐朝延喜6年(906年従五位下外衛少将に叙任。その後は三河介侍従を経て、延喜17年(917年)右馬助、延喜19年(919年左兵衛佐と主に武官を務めた。延喜22年(922年)従五位上に至る。翌延長元年(923年)6月に三河権介に任ぜられるが、同年9月27日に卒去

人物

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紀貫之壬生忠岑凡河内躬恒といった『古今和歌集』の撰者らと交流があった。延喜5年(905年)および翌6年の『貞文家歌合』といった歌合を少なくとも3回主宰したことが知られている。会には紀貫之・壬生忠岑・在原元方・凡河内躬恒ら当代一流の家人が参加した。家集は伝わっていないが、鎌倉時代後期に編纂された『夫木和歌抄』に拠れば、その当時は自筆の『貞文家集』が存在した、と推測されている。『古今和歌集』(9首)以下の勅撰和歌集に26首が入集している[2]。歌物語『平中物語』は平中を主人公としたものである。

色好みとしても有名で、後世に「在中・平中」として在原業平と並び称された。後に芥川龍之介は『好色』でこの平中を描いているほか、谷崎潤一郎も『少将滋幹の母』の中で重要な登場人物として平中を描いている。

官歴

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『古今和歌集目録』による。

系譜

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系図纂要』による。

  • 父:平好風
  • 母:不詳
  • 生母不明の子女
    • 男子:安快
    • 男子:平兼時
    • 男子:平時経
    • 男子:平信臣

平中(ひらなか)氏は平中の末裔を名乗っている。

脚注

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  1. ^ 平好風の三人の男子のうち真ん中の子だったことに由来する。
  2. ^ 『勅撰作者部類』