平石氏人
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平石 氏人(ひらいし うじんど、元治元年3月10日[1](1864年4月15日) - 1939年〈昭和14年〉3月17日[2])は、日本の判事。旅順市長。
経歴
[編集]土佐国(高知県)出身。1889年(明治22年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業[1]。判事となり、大審院判事まで累進した[1]。のち関東都督府判事に転じ、同高等法院長、関東庁高等法院長を務めた[1][3]。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
脚注
[編集]- ^ a b c d 人事興信録 1918.
- ^ 高知県史編纂会 1951, 714頁.
- ^ 人事興信録 1925.
- ^ 『官報』第3718号、大正14年1月16日。
- ^ 『官報』第1330号「叙任及辞令」1917年1月11日。
- ^ 『官報』第2847号「叙任及辞令」1922年1月31日。
- ^ 『官報』第1946号「叙任及辞令」大正8年1月30日。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 『高知縣史 上巻』高知県史編纂会、1951年 。
公職 | ||
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先代 東畑英夫 |
大連市長 1924年 - 1928年 |
次代 永山嘉一 |