平田重三
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平田 重三 | |
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生誕 |
1882年1月5日 日本 新潟県 |
死没 | 没年不明 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1904年 - 1935年 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
平田 重三(ひらた じゅうぞう、1882年(明治15年)1月5日[1] - 没年不明[注釈 1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]1882年(明治15年)に新潟県で生まれた[1]。陸軍士官学校第15期卒業[2]。1928年(昭和3年)8月10日に陸軍歩兵大佐進級と同時に岐阜連隊区司令官に着任[3]。1930年(昭和5年)8月に歩兵第5連隊長に転じ[3]、1932年(昭和7年)3月11日に第1師団司令部附となり[3]、4月11日に麻布連隊区司令官に就任した[3]。
1933年(昭和8年)8月1日に陸軍少将に進級と同時に歩兵第14旅団長に着任[1][3]。8月8日には服部兵次郎少将の後任として混成第14旅団長(第7師団)に転じ[2]、満州事変で討伐戦を指揮した[2]。1934年(昭和9年)3月5日に留守第7師団司令部附となり[2]、1935年(昭和10年)8月1日に待命[2]、8月28日に予備役に編入された[2]。1945年(昭和20年)3月31日に召集され新潟連隊区司令官兼新潟地区司令官に就任し[4]、6月27日に新潟連隊区司令官附となった[5]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。