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平田 光穂(ひらた みつほ、1922年9月26日[1] - 2011年5月31日)は日本の数学者。
東京大学理学部数学科卒業。太平洋戦争時中、日本光学(現・ニコン)でレンズの計算に従事。戦後東京工業大学教授を務め、数学者の立場から化学工学分野の技術者育成にあたった。「多成分系の蒸留」他、著書多数。
1998年、勲三等旭日中綬章を受章。2011年5月31日、肺炎のため死去[1]。
- ^ a b 『現代物故者事典2009~2011』(日外アソシエーツ、2012年)p.513