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平敷兼七

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

平敷 兼七(へしき けんしち、1948年 - 2009年10月3日)は、日本写真家である[1]

経歴

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1948年、沖縄県今帰仁村に生まれる[2]

高校在学中に写真を撮り始める[3]琉球政府立沖縄工業高等学校デザイン科を卒業した[2]東京写真大学工学部を中退したのち、東京綜合写真専門学校に入学する[2]。1969年、『週刊ポスト』にて「祖国復帰を拒否する女達」を発表する[4]。同年、個展「オキナワ・南灯寮」がタイムスホールにて開催される[4]。1970年、『カメラ毎日』にて「故郷の沖縄」を発表する[4]。1972年、東京綜合写真専門学校を卒業する[2]

1985年、喜納辰彦や石川真生らと同人写真誌『美風』を創刊した[2]。2007年、写真集『山羊の肺』が影書房より刊行される[2]。2008年、第33回伊奈信男賞を受賞する[3]

2009年10月3日、肺炎のため死去[2]。61歳没[2]

写真集

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脚注

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  1. ^ 沖縄を見つめた写真家・平敷兼七の特集番組、石川竜一が足跡を辿る”. CINRA.NET (2016年6月12日). 2016年6月20日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 平敷兼七”. 東京文化財研究所. 2016年6月20日閲覧。
  3. ^ a b 伊奈信男賞写真家、平敷兼七氏が死去 61歳”. 琉球新報 (2009年10月4日). 2016年6月20日閲覧。
  4. ^ a b c 平敷兼七 HESHIKI, Kenshichi (1948~2009)”. 沖縄県立博物館・美術館. 2016年6月20日閲覧。

関連項目

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