平政子
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平 政子(たいら の まさこ、生没年不詳)は、高倉天皇の女房で、建春門院(平滋子)の乳母[1]。丹後局(高階栄子)の母や、僧澄雲(高階氏)の妻、あるいは平正盛の娘で、平忠盛の妹と推定される[1]。若狭局とも[1]。
1175年(安元1年)、肥前国松浦荘を建春門院に、次いで最勝光院に寄進し預所となる[1]。嵯峨に一堂を建立し、1178年(治承2年)および1184年(元暦1年)の供養には後白河上皇も参列している[1]。高倉天皇に対しても乳母的な地位にあって隠然たる力を有し、「執権の人」と称された[1]。