平山行三
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平山行三 | |
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生誕 |
1906年2月27日 東京府 |
死没 | 1992年4月28日 (86歳) |
出身校 | |
職業 | 大学教員, 高等教育教員, 歴史家 |
勤務先 | |
平山 行三(ひらやま こうぞう[1]、1906年 2月27日[2]– 1992年4月28日[3])は日本の法制史学者。
略歴
[編集]東京府東京市牛込区払方町の、海軍教授や海軍大学校教官を務めた平山順の三男として生まれる。父の弟である叔父に天文学者の平山信がいる。祖父の平山銓は旧幕臣であった[2]。1924年に東京高等師範学校附属中学校を卒業[4]。1928年に静岡高等学校を卒業[5]し、東京帝国大学文学部国史学科に入学[6]。1931年に卒業[7]。卒業論文は「守護地頭制度の崩壊」[8]。 徳川林政史研究所研究員[2]、和歌山県立日高高等女学校教諭[9]、和歌山青年師範学校教諭[2]を経て、1949年に和歌山大学助教授[2]、1952年に同大学教授[2]。1971年に退官し、同大学名誉教授[2]。
日本中世前期の和与について先駆的な研究を行った。
参考文献
[編集]- 〔日本歴史地理学会〕「全国各大学史学関係卒業論文題目一覧」『歴史地理(日本歴史地理学会編集)』第61巻第3号、地人書館、1933年、656-660頁、NCID AN00254866。
- 日本歴史学会 編『日本史研究者辞典』吉川弘文館、1999年、277頁。ISBN 4642036865。
脚注
[編集]- ^ “平山, 行三, 1906-1992”. Web NDL Authorities. 国立国会図書館. 2022年11月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g 日本歴史学会 1999
- ^ 『朝日新聞(兵庫版)』1992年5月27日
- ^ 『東京高等師範学校附属中学校一覧 自大正14年4月至大正15年3月』東京高等師範学校附属中学校、1925年6月28日、104頁。NDLJP:939482/59。
- ^ 『静岡高等学校一覧 自昭和3年4月至昭和4年3月』静岡高等学校、1928年7月7日、124頁。NDLJP:1465037/68。
- ^ 『官報』第386号、昭和3年4月14日、p.346. NDLJP:2956847/6
- ^ 『東京帝国大学要覧 昭和6年度』東京帝国大学、1931年7月10日、410頁。NDLJP:1448273/213。
- ^ 〔日本歴史地理学会〕 1933
- ^ 中等教科書協会 編『高等女学校女子実業学校職員録 昭和13年5月現在 第35版』中等教科書協会、1938年9月20日、365頁。NDLJP:1462071/210。