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平山古墳 (壱岐市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
平山古墳 / 平山1号墳
墳丘・石室開口部
所属 平山古墳群
所在地 長崎県壱岐市石田町石田東触(字平山)
位置 北緯33度45分35.40秒 東経129度45分49.10秒 / 北緯33.7598333度 東経129.7636389度 / 33.7598333; 129.7636389座標: 北緯33度45分35.40秒 東経129度45分49.10秒 / 北緯33.7598333度 東経129.7636389度 / 33.7598333; 129.7636389
形状 円墳
規模 直径11-14m(推定復元17-20m)
高さ4.85m(推定復元5m)
埋葬施設 両袖式横穴式石室
築造時期 6世紀末-7世紀初頭
史跡 壱岐市指定史跡「平山古墳」
地図
平山古墳の位置(長崎県内)
平山古墳
平山古墳
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平山古墳(ひらやまこふん)または平山1号墳(ひらやまいちごうふん)は、長崎県壱岐市石田町石田東触にある古墳。形状は円墳。平山古墳群を構成する古墳の1つ。壱岐市指定史跡に指定されている(指定名称は「平山古墳」)。

概要

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壱岐島南東部、丘陵山腹に築造された古墳である。一帯では古墳3基からなる平山古墳群が分布し、本古墳はそのうち最大規模の古墳になる。1996年平成8年)に墳丘測量・石室実測調査が実施されている。

墳丘は大きく流失しているが、墳形は円形で、南北約11メートル・東西約14メートル・高さ4.85メートルを測り、推定復元としては直径17-20メートル・高さ約5メートルと見積もられる[1]。墳丘裾部には石積みが巡るが、これは近年の墳丘盛土流失防止の整備によるものである。埋葬施設は両袖式の横穴式石室である。玄室・前室・羨道からなる複室構造の石室で、石室の石材には玄武岩の巨石が使用される。石室内の副葬品は詳らかでない[1]。築造時期は古墳時代後期-終末期6世紀末-7世紀初頭頃と推定される[1]

古墳域は1971年昭和46年)に石田町指定史跡(現在は壱岐市指定史跡)に指定されている。

遺跡歴

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  • 延享元年(1744年)完成の『壱岐国続風土記』に記述[1]
  • 1971年昭和46年)10月20日、石田町指定史跡に指定(現在は壱岐市指定史跡)。
  • 1989年平成元年)、石室羨道部修復および盛土流失防止のため墳丘東・西側裾部に石積み(石田町教育委員会)[2]
  • 1996年(平成8年)、墳丘測量・石室実測調査(石田町教育委員会)[2]

埋葬施設

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石室 玄室

埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されている。玄室・前室・羨道からなる複室構造の石室である。石室の規模は次の通り[2]

  • 石室全長:7.8メートル
  • 玄室:長さ2.1メートル、幅2.2-2.5メートル、高さ2.85メートル
  • 前室:長さ2.4メートル、幅1.3メートル、高さ1.3メートル

石室の石材には玄武岩の自然石の巨石が使用される。玄室の平面形は台形に近い方形で、前室の平面形は比較的長い長方形である[2]

文化財

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壱岐市指定文化財

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  • 史跡
    • 平山古墳 - 1971年(昭和46年)10月20日指定。

脚注

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  1. ^ a b c d 史跡説明板。
  2. ^ a b c d 壱岐の島の古墳群 2012.

参考文献

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(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板(壱岐市教育委員会、2012年設置)
  • 「平山1号墳」『壱岐の島の古墳群~現状調査』壱岐市教育委員会〈壱岐市文化財調査報告書第20集〉、2012年。 
  • 「平山古墳」『壱岐市の文化財』壱岐市教育委員会、2017年。 

関連項目

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