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平実親

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

平 実親(たいら の さねちか、寛治元年(1087年) - 久安4年11月24日1149年1月5日))は、平安時代後期の貴族桓武平氏高棟流右大弁平時範の長男。官位従三位参議

経歴

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白河院政期中期の康和3年(1101年文章生に補せられるたのち、蔵人所雑色六位蔵人を務める。長治2年(1105年従五位下に叙せられ、翌嘉承元年(1106年中宮少進に任官。父の時範から引き続いて、堀河天皇中宮である篤子内親王に仕えた。

のち、紀伊守勘解由次官右衛門権佐を経て、保安4年(1123年)右少弁兼五位蔵人に任ぜられる。以降は、天治2年(1125年)左少弁、大治2年(1127年正五位下天承元年(1131年)左中弁、天承2年(1132年従四位下長承2年(1133年)従四位上、長承3年(1134年正四位下・右大弁、保延元年(1135年)左大弁と白河院政期後期から鳥羽院政期前期にかけて弁官を務めながら順調に昇進した。

保延2年(1136年参議に任ぜられ公卿に列す。議政官の傍らで、左大弁・勘解由長官のちに大宰大弐を兼帯し、この間の永治2年(1142年従三位に昇叙されている。久安元年(1145年官職を辞すと、久安4年(1148年)2月15日に出家、同年11月24日薨去享年63。

官歴

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公卿補任』による。

系譜

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尊卑分脈』による。

脚注

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参考文献

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  • 『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年
  • 『尊卑分脈 第四篇』吉川弘文館、1958年