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平地神社古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
平地神社古墳

墳丘
別名 美土里村81号古墳
所属 中大塚古墳群
所在地 群馬県藤岡市中大塚1203(字宮西)(平地神社境内)
位置 北緯36度15分6.62秒 東経139度3分15.32秒 / 北緯36.2518389度 東経139.0542556度 / 36.2518389; 139.0542556座標: 北緯36度15分6.62秒 東経139度3分15.32秒 / 北緯36.2518389度 東経139.0542556度 / 36.2518389; 139.0542556
形状 円墳
規模 直径33m
高さ3.5m
埋葬施設 両袖式横穴式石室(模様積み)
出土品 人骨・直刀・刀子・鉄鏃・耳環・馬具・埴輪
築造時期 6世紀後半
史跡 藤岡市指定史跡「平地神社古墳」
地図
平地神社 古墳の位置(群馬県内)
平地神社 古墳
平地神社
古墳
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平地神社古墳(へいちじんじゃこふん)は、群馬県藤岡市中大塚にある古墳。形状は円墳。中大塚古墳群を構成する古墳の1つ。藤岡市指定史跡に指定されている。

概要

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群馬県南部、鮎川東岸の平坦地に築造された古墳である。一帯では本古墳のほかにも古墳4基(現存2基)や西500メートルの滝下遺跡の古墳跡2基が知られ、中大塚古墳群を形成する[1]。現在は墳丘上に稲荷祠が所在する。これまでに盗掘に遭っているほか、1960年昭和35年)に発掘調査が実施されている。

墳形は円形で、直径33メートル・高さ3.5メートルを測る[2]。墳丘は2段築成[2]。墳丘表面では斜面で葺石が、テラス面で円筒埴輪列が認められる[1]。また墳丘周囲には周溝と見られる幅5-8メートルの浅い窪みが認められる[1]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南方向に開口する。「模様積み」と称される石積みを特徴とした石室になる。石室内の調査では、人骨・歯のほか直刀・刀子・鉄鏃・耳環・馬具が検出されている。築造時期は古墳時代後期の6世紀後半頃と推定される[2][3]

古墳域は1970年昭和45年)に藤岡市指定史跡に指定された[3]。現在では石室内への立ち入りは制限されている。

遺跡歴

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  • 1938年昭和13年)の『上毛古墳綜覧』に「美土里村第81号墳」として登載。
  • 1960年(昭和35年)、発掘調査(塚越甲子郎)[2]
  • 1970年(昭和45年)4月15日、藤岡市指定史跡に指定[3]

埋葬施設

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石室開口部

埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口する。石室の規模は次の通り[1]

  • 石室全長:現存8.7メートル
  • 玄室:長さ5.3メートル、幅2.08メートル(最大)、高さ1.9メートル(奥壁)

石室は「模様積み」と称される独特の石積み技法により、比較的大きい珪岩質の転石と棒状の片岩を積み上げて構築される。奥壁はほぼ垂直に立ち上がるが、側壁は内傾する。玄室の平面形は羽子板状で、やや胴張りである。羨道は大ぶりな川原石の乱石積みによって構築される。天井石は、玄室奥の1石のみが残存した。また石室前には台形状の前庭部が認められる[1][4]

石室内は盗掘に遭っているが、調査では人骨・歯のほか[1]、直刀3・刀子2・鉄鏃多数・耳環8・馬具が検出されている[2]

文化財

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藤岡市指定文化財

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  • 史跡
    • 平地神社古墳 - 1970年(昭和45年)4月15日指定[3][4]

脚注

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参考文献

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  • 史跡説明板(藤岡市教育委員会設置)
  • 「平地神社古墳」『藤岡市史 資料編 原始・古代・中世』藤岡市、1993年。 
  • 志村哲「平地神社古墳」『続 日本古墳大辞典東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991 

関連項目

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外部リンク

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