平和台公園
平和台公園(へいわだいこうえん)は、宮崎県宮崎市下北方町の丘陵地にある都市公園。宮崎県総合文化公園とともに『パークマネージメント宮崎』が管理する。宮崎交通の接続もあり。
歴史
[編集]平和台公園の殆どの土地はとある一家の土地だった。
「紀元2600年記念事業」として宮崎県奉祝会が中心となり、『八紘之基柱』(あめつちのもとはしら)の建設と周辺広場の造成を実施。作業員延べ66,500人、総工費67万円をかけて1940年(昭和15年)11月25日に完成した[1]。1942年(昭和17年)10月には大日本帝国逓信省(現在の日本郵便)が、4銭普通切手として国威発揚のデザインとして採用され、富士山とともに描かれていた。
太平洋戦争後、GHQにより『大東亜戦争』・『八紘一宇』などの言葉が国家神道を連想させるとして1946年(昭和21年)1月に「八紘一宇」の文字と武人の象徴である荒御魂像(あらみたま)が取り除かれ、名称も『平和の塔』と改められた[2]。
1957年(昭和32年)4月2日に都市公園として指定されることにより、都市公園としての整備も進められる。これに伴い平和の塔の復元が決定され、1962年(昭和37年)10月5日に荒御魂像が、1965年(昭和40年)1月30日には八紘一宇の文字がそれぞれ復元された[3]。1964年(昭和39年)の東京オリンピックでは平和の塔が聖火リレーの第2スタート地点となった[4][5]。
現在では平和の塔が宮崎県の代表的な観光地のひとつとして、運動広場や自然散策路などが地元住民のレクリエーション施設として機能している。
施設
[編集]- 平和の塔
- 高さ36.4メートル、面積1,070平方メートル、体積834立方メートル。世界各地の切石1,789個(縦45センチメートル、横60センチメートル)を含む石材で構成されている。
- 塔は御幣を表している。正面には秩父宮雍仁親王による「八紘一宇」の文字が刻まれており、四隅には正面(東側)から時計回りに漁人である『奇御魂』(くしみたま)、武人である『荒御魂』、商工人である『和御魂』(にぎみたま)、農耕人である『幸御魂』(さちみたま)の四魂像(信楽焼で高さ4.5m)が配置されている[6]。内部には天孫降臨や波限の産屋、神武天皇即位、葦原中国平定、明治維新、世界地図、紀元2600年が描かれたレリーフがあるが、一般公開はされていない[7]。
- 設計は日本サッカー協会のシンボルマーク「八咫烏」を制作したことで知られる彫刻家、日名子実三が担当した[6]。
- 周辺広場を含めた面積は9,900平方メートル(3,000坪)、芝生部分は紀元2600年に合わせて2,600坪。
- 塔の前の砂利道の中央部に設置された小さい岩盤に上り、拍手すると塔にこだまして独特な音が聞こえる[8]。
- はにわ園
- 1962年3月31日に完成。地元住民向けのアトリエとしても機能する『はにわ館』と400体の埴輪のレプリカが園内に点在する。『はにわ館』前には1964年の東京五輪の聖火リレーの際に本部マサが製作し平和の塔に設置された、埴輪をモチーフとした聖火台が残されている[3][4]。
- 運動広場
- 公園の北側に整備。アスレチック広場と人工草スキー場が隣接する。多目的グラウンドとして野球場も2面あり。
- レストハウス
- せせらぎ水路
- 公園内の中央を横断するかたちで越ヶ迫池に注ぐ。
- 自然散策路
- 園内を周遊するかたちで複数のコースが整備されており、展望デッキが3ヶ所設けられている。
- 駐車場
- 南側に第一駐車場、西側に第二駐車場、北側の運動公園隣に第三駐車場が整備されている。
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アスレチック広場と運動広場
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人工草スキー場
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はにわ園
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レストハウス
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せせらぎ水路
また、敷地内には公園施設とは別に「下北方古墳群」の古墳がいくつか存在する[9][10][11]。
テレビ局の送信所
[編集]NHK宮崎放送局と宮崎放送(mrt)がテレビ放送を開始するにあたって、送信所の設置地点として当初平和台が予定地とされていた。ところが、平和台は海抜高度が60メートル程度ということもあり、中継局を大量に設置(100局ほど)する必要があることが予想された。このことから、2社は送信所を田野町の鰐塚山頂に設置することに決定した。
脚注
[編集]- ^ “【みやざき令和風土記】第5部「日向かう国から宮崎県へ」⑤神話と県民意識”. 宮崎日日新聞 / デジタル夕刊 プレみや (株式会社 宮崎日日新聞社). (2020年11月21日) 2021年1月30日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』 2010年1月28日、宮崎版。
- ^ a b “(新聞と9条:418)平和主義の国で:18”. 朝日新聞デジタル (株式会社 朝日新聞社). (2017年2月24日) 2021年1月30日閲覧。
- ^ a b “平和台公園の聖火台”. 宮崎日日新聞 Miyanichi e-press (株式会社 宮崎日日新聞社): p. 歩廊. (2013年9月13日) 2021年1月30日閲覧。
- ^ 菊地洋行 (2020年1月26日). “宮崎)県聖火リレー走者に旗、横断幕を授与”. 朝日新聞デジタル (株式会社 朝日新聞社) 2021年1月30日閲覧。
- ^ a b “平和の塔4像組み立て原図 宮崎市の森川さん調査”. 宮崎日日新聞 Miyanichi e-press (株式会社 宮崎日日新聞社). (2015年9月23日) 2021年1月30日閲覧。
- ^ “「八紘一宇」歴史を学ぶ 平和の塔を見学”. 宮崎日日新聞 Miyanichi e-press (株式会社 宮崎日日新聞社). (2016年8月16日) 2021年1月30日閲覧。
- ^ “平和台”. 【公式】宮崎市観光サイト 宮崎市神話物語古事記・日本書紀編纂1300年 神々の縁の地. 宮崎市観光協会. 2021年8月14日閲覧。
- ^ “下北方古墳 検索詳細”. みやざきの文化財情報. 宮崎県教育委員会. 2020年4月16日閲覧。
- ^ “下北方古墳群について知りたい”. 宮崎市. 宮崎市. 2020年4月16日閲覧。
- ^ 埋蔵文化財調査研究報告Ⅲ. 宮崎県総合博物館. (1990年3月31日). doi:10.24484/sitereports.3312 2020年4月16日閲覧。.
参考文献
[編集]この節の出典は、Wikipedia:信頼できる情報源に合致していないおそれがあります。 |
下記のほか、現地にある案内板の記述[信頼性要検証]も参考にした。
- 『宮崎放送三十年史』 宮崎放送、1984年。
- 『県立平和台公園「平和の塔」について』 - 「はにわ館」内で無料配布される資料[信頼性要検証]。
- 『宮崎県総合文化公園 県立平和台公園』 - 管理業者『パークマネージメント宮崎』によるパンフレット[信頼性要検証]。