常総鉄道キホハ61形気動車
表示
常総鉄道キホハ61形気動車
| |
---|---|
キホハ61 1957年8月 水海道にて | |
基本情報 | |
運用者 |
常総鉄道 常総筑波鉄道 関東鉄道 |
製造所 | 日本車輌 |
製造年 |
キホハ61:1935年7月 キホハ62:1936年6月 |
製造数 | 2両 |
廃車 |
キハ305:1970年8月31日 キサハ54:1969年8月31日 |
投入先 |
常総線 筑波線 竜ヶ崎線 |
主要諸元 | |
軌間 | 1067mm(狭軌) |
車両定員 |
キハ305:80名(座席42名) キサハ54:86名(座席40名) |
自重 | 15.15t |
全長 | 12120mm |
全幅 | 2720mm |
全高 | 3670mm |
台車 | 菱枠型 |
固定軸距 |
キハ305:1500mm/750+1150mm キサハ54:1500mm |
変速機 | 機械式 |
常総鉄道キホハ61形気動車(じょうそうてつどう キホハ61がたきどうしゃ)は、常総鉄道(関東鉄道の前身)が1935年(昭和10年)から導入した気動車である。常総鉄道時代に製造され、常総筑波鉄道を経て関東鉄道まで使用され、1970年(昭和45年)8月31日に廃車となった。
概要・運用
[編集]この車両は、常総鉄道が1935年(昭和10年)に日本車輌に発注し、同年7月にキホハ61が、翌1936年6月にはキホハ62が竣工した[1]。キホハ61はキホハ51形のように幕板が広く、一段窓だが、キホハ62はそれほどでもなく、前面窓も2段窓だった[2]。その後、1942年(昭和17年)3月に代燃装置を設置し、1951年(昭和26年)12月にディーゼル化。キホハ61は1955年(昭和30年)3月に筑波線に転じ、同時にキハ61に改番。1956年(昭和31年)3月に筑波線キハ300形・304形に続いてキハ305に改番し、しばらく筑波線で使用された後、1965年(昭和40年)には竜ヶ崎線に転じ、1970年8月31日に廃車となった[3]。キホハ62は1956年(昭和31年)3月にキハ62に改番したが、1960年(昭和35年)8月には機関を撤去して付随客車化し、キサハ54に改番され、1969年(昭和44年)8月31日の廃車まで常総線で使用された[4]。
車両年表
[編集]キホハ61
[編集]- 1935年(昭和10年)
- 1942年(昭和17年)
- 1951年(昭和26年)
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和31年)
- 1965年(昭和40年):竜ヶ崎線に移籍。[3]
- 1970年(昭和45年)
キホハ62
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 『関東鉄道株式会社七十年史』関東鉄道株式会社、1993年3月、87頁。
- ^ 高井薫平『昭和30年代~50年代の地方私鉄を歩く 第6巻 常磐線に沿って(1) 関東鉄道(常総筑波鉄道、鹿島参宮鉄道)』株式会社フォト・パブリッシング、2020年12月5日、22,23頁。
- ^ a b c d e f g h i 『RM LIBRARY 256 筑波鉄道(下)』カルチュア・エンタテイメント株式会社、2021年10月1日、20頁。
- ^ a b c d 『昭和30年代~50年代の地方私鉄を歩く 第6巻 常磐線に沿って(1) 関東鉄道(常総筑波鉄道、鹿島参宮鉄道)』株式会社フォト・パブリッシング、2020年12月5日、142頁。
- ^ a b 『常総鉄道株式会社三十年史』常総鉄道株式会社、1942年5月、267頁。
- ^ a b 『常総鉄道株式会社三十年史』常総鉄道株式会社、1942年5月、270頁。