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常総鉄道キホハ61形気動車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
常総鉄道キホハ61形気動車
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  • 常総筑波鉄道キハ305形気動車
  • 常総筑波鉄道キサハ54形気動車
  • 関東鉄道キハ305形気動車
  • 関東鉄道キサハ54形気動車
キホハ61 1957年8月 水海道にて
基本情報
運用者 常総鉄道
常総筑波鉄道
関東鉄道
製造所 日本車輌
製造年 キホハ61:1935年7月
キホハ62:1936年6月
製造数 2両
廃車 キハ305:1970年8月31日
キサハ54:1969年8月31日
投入先 常総線
筑波線
竜ヶ崎線
主要諸元
軌間 1067mm(狭軌
車両定員 キハ305:80名(座席42名)
キサハ54:86名(座席40名)
自重 15.15t
全長 12120mm
全幅 2720mm
全高 3670mm
台車 菱枠型
固定軸距 キハ305:1500mm/750+1150mm
キサハ54:1500mm
変速機 機械式
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常総鉄道キホハ61形気動車(じょうそうてつどう キホハ61がたきどうしゃ)は、常総鉄道関東鉄道の前身)が1935年昭和10年)から導入した気動車である。常総鉄道時代に製造され、常総筑波鉄道を経て関東鉄道まで使用され、1970年(昭和45年)8月31日に廃車となった。

概要・運用

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この車両は、常総鉄道1935年(昭和10年)に日本車輌に発注し、同年7月にキホハ61が、翌1936年6月にはキホハ62が竣工した[1]。キホハ61はキホハ51形のように幕板が広く、一段窓だが、キホハ62はそれほどでもなく、前面窓も2段窓だった[2]。その後、1942年(昭和17年)3月に代燃装置を設置し、1951年(昭和26年)12月にディーゼル化。キホハ61は1955年(昭和30年)3月に筑波線に転じ、同時にキハ61に改番。1956年(昭和31年)3月に筑波線キハ300形・304形に続いてキハ305に改番し、しばらく筑波線で使用された後、1965年(昭和40年)には竜ヶ崎線に転じ、1970年8月31日に廃車となった[3]。キホハ62は1956年(昭和31年)3月にキハ62に改番したが、1960年(昭和35年)8月には機関を撤去して付随客車化し、キサハ54に改番され、1969年(昭和44年)8月31日の廃車まで常総線で使用された[4]

キサハ54(元キホハ62)。2段窓であることがわかる。

車両年表

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キホハ61

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キホハ62

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脚注

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  1. ^ a b c 『関東鉄道株式会社七十年史』関東鉄道株式会社、1993年3月、87頁。 
  2. ^ 高井薫平『昭和30年代~50年代の地方私鉄を歩く 第6巻 常磐線に沿って(1) 関東鉄道(常総筑波鉄道、鹿島参宮鉄道)』株式会社フォト・パブリッシング、2020年12月5日、22,23頁。 
  3. ^ a b c d e f g h i 『RM LIBRARY 256 筑波鉄道(下)』カルチュア・エンタテイメント株式会社、2021年10月1日、20頁。 
  4. ^ a b c d 『昭和30年代~50年代の地方私鉄を歩く 第6巻 常磐線に沿って(1) 関東鉄道(常総筑波鉄道、鹿島参宮鉄道)』株式会社フォト・パブリッシング、2020年12月5日、142頁。 
  5. ^ a b 『常総鉄道株式会社三十年史』常総鉄道株式会社、1942年5月、267頁。 
  6. ^ a b 『常総鉄道株式会社三十年史』常総鉄道株式会社、1942年5月、270頁。