常福寺 (島根県西ノ島町)
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常福寺 | |
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所在地 | 島根県隠岐郡西ノ島町浦郷296-6 |
位置 | 北緯36度5分41.6秒 東経132度59分42.1秒 / 北緯36.094889度 東経132.995028度座標: 北緯36度5分41.6秒 東経132度59分42.1秒 / 北緯36.094889度 東経132.995028度 |
宗旨 | 真言宗 |
宗派 | 真言宗東寺派 |
法人番号 | 2280005005808 |
常福寺(じょうふくじ)は、島根県隠岐郡西ノ島町にある真言宗東寺派の寺院。
西ノ島町は、島根県北部、隠岐諸島の西ノ島に所在する。面積56.05平方キロメートル、人口3,161人(平成24年5月1日現在)。
隠岐郡内では隠岐の島町に次いで2番目に大きな町である。
常福寺の縁起
[編集]- 本尊:阿弥陀如来
- 脇士:不動明王・毘沙門天(旧 勢至菩薩・観音菩薩)
- 宗派:真言宗東寺派
- 創建:不明
大原山常福寺
[編集]大原山常福寺は、人皇52代嵯峨天皇御宇に、弘法大師が諸国修行の時に当国へ渡海した際に建てられたとされています。その後、長門守が修復を加えたと言われています(隠岐国住古旧記より引用)。しかし、弘法大師が渡海した証拠はなく、これは古さを強調するための推測である。
復興
[編集]隠州視聴合紀によれば、「山の中に城福寺というものがあった」とあります。これは、人家から八丁ほど登った勇儀山の中腹、眺望の良い地にあったということです。
明治2年に廃寺となりましたが、同12年6月2日に再興の許可を受けました。ただし、無住で、住職は長福寺の大野明演師が兼務していました。同12年6月に許可を得てから12年間は無住でしたが、同24年7月に中院工事が完成し、古来の過去簿も不明確だったため、同26年を復興としました。
明治26年巳年7月中院、「真言宗大原山中興開山河村大忍」と寺記にあります。これは、明治20年代に河村師が入山し、本格的な復興と教化に努められたことを示しています。現在、常福寺奥ノ院と称している場所には小堂(1間半・2間)があったと言われています。これは河村師が復興したものである。
次いで、大塚欽龍師が入山し、同師の手によって明治38年に現在の地に新築されました(昭和47年に口村慈光師によって再建築)この大塚師は大正9年に入寂されましたが、かなりの実績を残した人物でした。長福寺住職照海明龍の書信によれば、「常福寺住職大塚欽龍上人は真に僧侶らしい人物であった云々」と評されています。明治44年には授戒を行い、これに必要な仏具を備えました。八祖大師掛絵や両界曼荼羅なども今日まで残されています。
昭和27年に口村慈光師が入山後、常福寺旧寺を奥ノ院と称し、段々と整備しました。昭和35年には西ノ島町役場の旧建物(5間・6間)を購入し、さらなる整備を行いました。また、山内に経蔵を設け、旧山王社に奉納された大般若経を収納保存しました。
大般若経
[編集]中世と近世の2種類の大般若経が収められています。どちらも西ノ島町指定文化財です。識語で最も古い年紀は正応2年(1289年)です。
※識語…その本の来歴や書写の年月・氏名などを記したもの。
仏像
[編集]- 阿弥陀如来
- 真言宗では、阿弥陀如来は西方極楽浄土の教主であり、無量寿仏と無量光仏という二つの名前を持ちます。無量寿仏は無限の寿命を意味し、無量光仏は無限の光明を意味します。
- 不動明王
- 不動明王は、大日如来の化身であり、五大明王の中心的な存在です。人々の煩悩や迷いを断ち切り、仏の道へと導いてくれます。そのため、忿怒の相と呼ばれる恐ろしい表情をしていますが、これは慈悲の表れであり、怒りではありません。右手に利剣(りけん)を持ち、左手に羂索(けんさく)を持っています。利剣は悟りの智慧を表し、羂索は煩悩を縛り上げることを表します。盤石の岩に座り、背中に迦楼羅炎を背負っています。盤石は揺るぎない決意を表し、迦楼羅炎(かるらえん)は煩悩や欲望を燃やし尽くすことを表します。
- 毘沙門天
- 毘沙門天は、仏教の守護神であり、四天王の一人です。北方を守り、財宝や福徳を与える神とされます。毘沙門天は、甲冑を着て武装しており、足元には邪鬼を踏みつけています。邪鬼は人間の煩悩を象徴し、毘沙門天は煩悩を断ち切ってくれると信じられています。毘沙門天は、左手に宝塔を持ちます。宝塔は仏の教えを収めたもので、智慧の象徴です。右手には宝棒や三叉槍などの武器を持ちます。宝棒は無尽の財宝を生み出すと言われ、三叉槍は外敵を退けると言われます。
- 馬頭観音
- 馬頭観音は、観音菩薩の変化身の一つで、六観音の一尊としても知られています。畜生道に迷う衆生を救済するとされ、馬の守護仏としても信仰されています。他の観音と違って憤怒相で表され、頭上に馬の頭部を戴きます。これは、煩悩や諸悪を粉砕し、食い尽くすことを意味します。手には剣や斧や棒などの武器を持ち、また蓮華のつぼみを持つこともあります。武器は悟りの智慧を表し、蓮華は清浄な境地を表します。