常磐津菊三郎
表示
常磐津菊三郎(ときわづ きくさぶろう 1897年2月1日 - 1976年9月27日)は、明治時代から昭和時代にかけて活動した常磐津節三味線方、作曲家。本名は倉井修一。
経歴
[編集]1897年、東京都港区に生まれる。1907年にワキ語りだった常磐津都太夫に入門して太夫として修業、のち三味線方に転向して1917年に立三味線に昇進した[1]。古典に忠実、堅実な芸風で常磐津節の第一人者として活動したが、一方でレコードへの録音や作曲にも積極的に取り組み、後世に貴重な音源を残した。晩年には常磐津協会会長、顧問を務めている。
1976年9月27日、腸閉塞のため東京都新宿区の自宅で死去。79歳[2]。
受章歴
[編集]作品
[編集]- 「菊の盃」
- 「菊の栄」
- 「鴛鴦容姿の正夢(鴛鴦)」:復曲
- 「扇売高尾」:復曲
脚注
[編集]