常泉寺 (名古屋市)
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常泉寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 愛知県名古屋市中村区中村町字木下屋敷47 |
位置 | 北緯35度10分27.98秒 東経136度51分21.89秒 / 北緯35.1744389度 東経136.8560806度座標: 北緯35度10分27.98秒 東経136度51分21.89秒 / 北緯35.1744389度 東経136.8560806度 |
山号 | 太閤山 |
宗派 | 日蓮宗 |
本尊 | 大曼荼羅 |
創建年 | 慶長11年(1606年) |
開山 | 圓住院日誦上人 |
開基 | 加藤清正 |
正式名 | 太閤山 常泉寺 |
別称 | 太閤さん |
公式サイト | 日蓮宗 太閤山 常泉寺 |
法人番号 | 8180005000061 |
常泉寺(じょうせんじ)は、愛知県名古屋市中村区にある日蓮宗の寺院。山号は太閤山。本尊は大曼荼羅。豊臣秀吉の生誕地と伝えられている[1]。旧本山は、萱津妙勝寺。
歴史
[編集]当地は豊臣秀吉の生誕地の一つとして永らく伝わる。秀吉の死後の慶長11年(1606年)に加藤清正が圓住院日誦上人を開山に招き、豊国大明神廟堂として創建した。寺名は秀吉の誕生当時、近郷に類のない清水の溢れる井戸(現在の豊太閤産湯の井戸)があったことから定められたという。
御神体である豊臣秀吉の束帯唐冠像(長さ二尺余り)は木食興山上人の彫刻である。当初は大坂城に置かれていたものだが、清正が豊臣秀頼に願い出て譲り受け、当地に奉ったものである。
名古屋城の築城を手伝わされていた加藤清正は、名古屋城の完成後、慶長16年(1611年)に本陣としていた仮屋を日誦上人に喜捨し、仏殿に改築し妙行殿とした。
元和元年(1615年)夏、廟堂から出火し、ほとんどの建物が焼失する。
その後、日探上人が焼け跡に草堂を建てて常泉寺とし、焼け残った妙行殿は妙行寺に改めて弟子の日璋に授けた。
境内には、豊太閤産湯の井戸や秀吉が天文16年(1547年)に自ら植えたという柊などがあり[1]、寺宝として秀吉の肖像画や上記の秀吉木像の他、秀吉所持と伝えられる采配・茶釜・硯などが所蔵されている。
境内
[編集]所在地
[編集]- 愛知県名古屋市中村区中村町字木下屋敷47
脚注
[編集]関連項目
[編集]- 中村公園 - 隣接する公園にも秀吉の生誕地と伝わる場所がある。
- 豊国神社 - また別に豊臣秀吉の生誕地であるとされている場所に建てられている。
- 妙行寺 - 加藤清正の生誕地とされる。当寺の南に隣接している。