コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

常万村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
じょうまんむら
常万村
廃止日 1954年12月1日
廃止理由 新設合併
余目町、大和村十六合村常万村栄村八栄里村余目町
現在の自治体 庄内町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 山形県
東田川郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,243
国勢調査1950年
隣接自治体 余目町、大和村、十六合村
常万村役場
所在地 山形県東田川郡常万村
座標 北緯38度50分07秒 東経139度55分10秒 / 北緯38.83539度 東経139.91942度 / 38.83539; 139.91942座標: 北緯38度50分07秒 東経139度55分10秒 / 北緯38.83539度 東経139.91942度 / 38.83539; 139.91942
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

常万村(じょうまんむら)は山形県東田川郡にあった。現在の庄内町中心部の東南に接する区域にあたる。本項では発足時の名称である五七里村(いなさとむら)についても述べる。

歴史

[編集]
  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、田谷村、大野村、西小野方村、吉岡村、茗荷瀬村、払田村、島田村、近江新田村、余目新田村、常万村、堀野村、福原村の区域をもって五七里村が発足。
  • 1890年(明治23年)10月28日 - 大字大野・島田・茗荷瀬・田谷・西小野方・払田・近江新田・吉岡が分立して八栄里村が発足(大字余目新田・常万・堀野・福原が残存)。
  • 1891年(明治24年)3月31日 - 五七里村が改称して常万村となる。
  • 1915年大正4年)7月5日 - 余目村との境界変更[1]
  • 1954年昭和29年)12月1日 - 余目町・大和村十六合村栄村・八栄里村と合併し、改めて余目町が発足。同日常万村廃止。

交通

[編集]

鉄道路線

[編集]

旧村域を羽越本線陸羽西線が通過するが、駅は所在しなかった。

参考文献

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 『村区域変更』官報. 1915年07月07日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年2月24日閲覧。

関連項目

[編集]