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帷子耀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

帷子 耀(かたびら あき、本名:大久保 正博1954年2月14日[1] - )は日本詩人山梨県甲府市出身。

経歴

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山梨大学教育人間科学部附属中学校山梨県立甲府第一高等学校卒業。

1968年にわずか13歳(執筆時。掲載号の発売時は14歳)[2]で「現代詩手帖」に初掲載を飾り、同誌1970年1月号にて、第10回現代詩手帖賞寺山修司の強い推薦もあり受賞した。1969年ごろから金石稔主宰の同人誌「騒騒」などで活動を行い、1973年には映画評などの分野でも活動。「映画芸術」1973年12月号に『仁義なき戦い』の批評「ふかまる秋に」を寄せ、在日韓国人が登場しないことを批判したのを受けて、笠原和夫は『やくざの墓場 くちなしの花』で在日問題に踏み込んだ。1974年を最後に、執筆活動はばったりと途絶える。

「現代詩手帖」2001年7月号には四方田犬彦の「帷子耀覚書」が掲載され、在日韓国・朝鮮人の父親の後を継ぎパチンコチェーン店大丸商事株式会社社長になっていることが明らかにされた[3]。また同誌2012年6月号の特集「現代詩手帖賞の詩人たち」にはインタビュー、大久保正博(帷子耀)「まがいものとして―帷子耀という時間」が掲載された。

2018年9月7日、山梨日日新聞にインタビュー「詩人・帷子耀さん(甲府) 50年ぶり活動再開」掲載。翌月『帷子耀習作集成』を刊行し、「現代詩手帖」その他への執筆を再開。2020年秋からはペンネームを「帷子耀.」(かたびら あき ドット)として活動中。

著作

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  • 『スタジアムのために』 書肆山田、1973年8月
  • 『帷子耀習作集成』 思潮社、2018年10月
  • 『帷子耀習作抄』 阿吽塾、2024年4月

脚注

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  1. ^ 「機関精神史」第五号(高山えい子、2023年) p.204、執筆者プロフィール。
  2. ^ 「現代詩手帖」1968年4月号(思潮社) p.122, p.125、「今月の新人作品」選評。
  3. ^ 会社情報”. www.daimaru777.com. 2022年8月15日閲覧。