帰雲山
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帰雲山 | |
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野谷荘司山から望む帰雲山と猿ヶ馬場山 | |
標高 | 1,622 m |
所在地 | 岐阜県大野郡白川村 |
位置 | 北緯36度13分17.3秒 東経136度55分22.3秒 / 北緯36.221472度 東経136.922861度座標: 北緯36度13分17.3秒 東経136度55分22.3秒 / 北緯36.221472度 東経136.922861度 |
山系 | 飛騨高地 |
帰雲山の位置 | |
プロジェクト 山 |
帰雲山(かえりくもやま)とは、岐阜県大野郡白川村にある標高1,622mの山。
概要
[編集]岐阜県北部、大野郡白川村中央部、庄川右岸の木谷(きだに)にある。国道156号の同村内保木脇(ほきわき)付近からその山容と、後述の西側山腹にできた大崩落面を眺めることができる。北西の麓は世界遺産の白川郷の萩町集落がある。飛騨高地最高峰の猿ヶ馬場山の西にある前衛の山である。
山名の由来
[編集]雲がこの山に当たると逆流して帰っていったという言い伝えに由来するとされる。
山腹崩壊
[編集]1586年(天正13年)に発生した天正地震により西側山腹が大崩壊を起こした。崩落した土砂により麓の庄川が河道を閉塞させ、堰き止め湖(天然ダム)が形成されたほどだったという。約400年の時間が経過した現在においてもなお、山頂付近から二つに割れた地形が確認できる[1]。
また、この頃帰雲山付近(正確な場所は未特定)にあった戦国武将・内ヶ島氏理の居城「帰雲城」、及び300〜400戸あったとされる城下町が崩落した土砂により完全に埋没し、内ヶ島氏一族郎党を含む、領民の殆どが壊滅、死亡した(史書により異なるが、たまたま他の国に出ていて難を逃れた数人の領民を除いて、ことごとく死亡したとある)。内ヶ島氏は鉱山師でもあったと伝えられ、戦国武将の中では大量の金を保有していたとされることから、城跡には埋蔵金が埋まっているのではないかと考えられている。
周辺の山
[編集]脚注
[編集]- ^ 「日の目見るか地下の幻城」『朝日新聞』昭和47年(1972年)7月11日夕刊、3版、8面
参考文献
[編集]- 『ヤマケイアルペンガイド21白山と北陸の山』山と渓谷社、2000年、P132 - 135、ISBN 4-635-01321-9
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 帰雲城と内ヶ島氏の謎 - ウェイバックマシン(2001年2月19日アーカイブ分)