市川喜一
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いちかわ きいち 市川 喜一 | |
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別名義 | 黒田潤 |
生年月日 | 1923年6月26日 |
没年月日 | 2006年3月31日(82歳没) |
職業 | 映画プロデューサー・元俳優 |
配偶者 | 市川千恵子(旧姓・関千恵子) |
著名な家族 | 市川南(子) |
主な作品 | |
『砂の女』 『犬神家の一族』 |
市川 喜一(いちかわ きいち、1923年(大正12年)6月26日 - 2006年(平成18年)3月31日[1])は、日本の映画プロデューサー・元俳優である。俳優としての芸名は黒田潤[2]。群馬県高崎市出身[1]。妻は市川千恵子(旧姓・関千恵子、元女優)[3]。
人物・来歴
[編集]海軍予備学生として魚雷艇部隊に在籍した[1]。1946年に早稲田大学法学部を卒業するとともに、黒田潤名義で、新人スターとして大映入りして、いくつかの作品に出演[2]。 デビュー作『いつの日か花咲かん』で共演した関千恵子と交際、後に結婚。
1952年に大映を退社してフリーとなる[4]。シナリオ作家志望だった市川は、故郷の群馬県高崎市の交響楽団をモデルにした作品を構想して、今井正監督に売り込んで採用される[5]。同構想は水木洋子脚本により1955年に『ここに泉あり』として映画化され、市川は「企画者」として共同製作者にクレジットされた[6]。
以降、フリーの映画プロデューサーとして劇映画制作に携わる[1]。今井正、勅使河原宏、山本薩夫、篠田正浩らの諸監督と組み、大作や問題作を制作した。1970年の大阪万博では、富士グループのパビリオンをプロデュースした[1]。1972年ごろ芸苑社に参加。
主なプロデュース作品に、今井監督「キクとイサム」、勅使河原監督「砂の女」、豊田四郎監督「恍惚の人」、山本監督「華麗なる一族」「不毛地帯」、市川崑監督「犬神家の一族」など。
2006年3月31日、脳幹出血のため東京都新宿区の病院で死去、82歳。
受賞歴
[編集]- 1956:第10回毎日映画コンクール企画賞=「ここに泉あり」
- 1959:第33回キネマ旬報ベストテン第1位=「キクとイサム」
- 1964:第38回キネマ旬報ベストテン第1位=「砂の女」
- 1965:第18回カンヌ国際映画祭大賞=「砂の女」
フィルモグラフィ
[編集]出演(黒田潤名義)
[編集]- いつの日か花咲かん 大映 1947
- 東京の夜 大映 1947
製作・企画
[編集]- ここに泉あり 今井正監督 中央映画 1955
- 裸の大将 堀川弘通監督 東宝 1958
- キクとイサム 今井正監督 大東映画 ... 企画 1959
- はったり二挺拳銃 福田晴一監督 松竹京都 ... 企画 1960
- あれが港の灯だ 今井正監督 東映東京 ... 企画 1961
- 喜劇 にっぽんのお婆あちゃん 今井正監督 M・I・I・プロ 1962
- 七人の刑事 大槻義一監督 松竹大船 ... 企画 1963
- 七人の刑事 女を探がせ 高橋治監督 松竹大船 ... 企画 1963
- 拝啓天皇陛下様 野村芳太郎監督 松竹大船 ... 企画 1963
- 結婚式・結婚式 中村登監督 松竹大船 ... 企画 1963
- 続・拝啓天皇陛下様 野村芳太郎監督 松竹大船 ... 企画 1964
- 馬鹿まるだし 山田洋次監督 松竹大船 ... 企画 1964
- 砂の女 勅使河原宏監督 勅使河原プロ 1964
- 馬鹿が戦車でやって来る 山田洋次監督 松竹大船 ... 企画 1964
- 戦場にながれる歌 松山善三監督 東宝 1965
- 他人の顔 勅使河原宏監督 東京映画=勅使河原プロ 1966
- 燃えつきた地図 勅使河原宏監督 勝プロ ... 企画 1968
- 恍惚の人 豊田四郎監督 芸苑社 1973
- 華麗なる一族 山本薩夫監督 芸苑社 1974
- 告訴せず 堀川弘通監督 東宝映画=芸苑社 1975
- 吾輩は猫である 市川崑監督 芸苑社 1975
- 桜の森の満開の下 篠田正浩監督 芸苑社 1975
- 妻と女の間 豊田四郎・市川崑監督 東宝映画 製作協力:芸苑社 1976
- 不毛地帯 山本薩夫監督 芸苑社 1976
- 犬神家の一族 市川崑監督 角川春樹事務所 1976
- 火の鳥 市川崑監督 火の鳥プロ=東宝 1978
- 火の鳥2772 愛のコスモゾーン 杉山卓監督 東宝=手塚プロ ... 製作、企画 1980
- だいじょうぶマイ・フレンド 村上龍監督 キティ・フィルム ... プロデューサー 1983
脚本
[編集]- クレージーの怪盗ジバコ 東宝=渡辺プロ 1967