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市原村 清兵衛(いちはらむら せいべえ、生没年不詳)は、江戸時代後期の農民[1]、義民[2]。
丹波国篠山藩領多紀郡市原村の貧農[2]。池田・伊丹への酒造出稼ぎ制限の撤廃を求め、寛政12年(1800年)に子の佐七とともに江戸の篠山藩主青山忠裕に直訴[1]。父子は10年余投獄されたが、酒造出稼ぎは享和2年(1802年)自由となった。文化8年(1811年)出獄後、同10年(1813年)に目安箱へ訴状を入れたことにより国払いとなり、伊丹に移住した[2]。丹波の杜氏の恩人として崇められている[2]。