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巨勢郎女

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

巨勢郎女(こせのいらつめ、生没年不詳)は巨勢比等の娘。大伴安麻呂の妻、田主の母[1]旅人の母であるとも考えられている。

記録

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『万葉集』の題詞に、「即ち近江朝の大納言巨勢人卿の女なり」[2]とあり、同じく『万葉集』の石川郎女が大伴田主に贈る歌の題詞に「母を巨勢朝臣といふ」[1]とあるのが唯一の史料である。

天武天皇元年(672年)、壬申の乱後、近江朝廷の大納言であった父巨勢比等は子孫と共に配流[3]。この中に巨勢郎女が含まれていたかどうか不明。

大伴安麻呂が巨勢郎女を求婚した時の和歌と、それに巨勢郎女が応答した際の和歌が、以下のように残されている。

玉葛(たまかづら) 実成らぬ木には ちはやぶる 神そつくといふ 成らぬ木ごとに[4]
玉葛(たまかづら) 花のみ咲きて 成らざるは 誰が恋ならめ 我(あ)は恋ひ思ふを[2]

なお、大伴氏と巨勢氏は、壬申の乱においては敵対関係であった。

脚注

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  1. ^ a b 『万葉集』巻第二、126番題詞
  2. ^ a b 『万葉集』巻第二、102番
  3. ^ 『日本書紀』天武天皇上 元年8月25日条
  4. ^ 『万葉集』巻第二、101番

参考文献

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