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巨勢 古麻呂(こせ の こまろ、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。姓は朝臣。位階は従五位下。名は古万呂とも表記される。
孝謙朝の天平勝宝2年(750年)3月6日、6月26日付但馬国司牒に、史生正七位上とて署名している[1]。
淳仁朝の天平宝字8年(764年)正月正六位上から従五位下に叙爵[2]。藤原仲麻呂の乱における去就は不明。
天平宝字年間のものと思われる額安寺絵図にその宅地が見え、それによると、大和国平群郡に邸宅があった、という。
注記のないものは『続日本紀』による。
- ^ 『東南院文書』巻3 - 190・193頁
- ^ 『続日本紀』巻第二十五、廃帝 淳仁天皇 天平宝字8年正月7日条