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左 小娥(さ しょうが、? - 106年以前)は、後漢の安帝の母で、清河王劉慶の側室。皇后に追尊された。小娥は字である。
犍為郡の人。容貌すぐれ、文賦をよくした。叔父の左聖が妖言の罪で処刑されたため、左小娥は姉の左大娥と共に後宮に入った。和帝が宮女を親王に賜うこととしたとき、和帝の兄の清河王劉慶の側室となった。寵愛を受けて、子の劉祜(後の安帝)を産んだ。
延平元年(106年)以前に死去した。同年に安帝が即位すると、孝徳皇后と贈号され追尊された。