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川端京五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

川端 京五郎(かわばた きょうごろう、1876年明治9年) - 1957年昭和32年)11月)は、明治時代から昭和時代前期にかけての実業家。日本ホーリネス教会の信徒代表議員で、同教会の信徒会会長として活躍し、「耶蘇の材木屋」として知られた。東京市深川区議会議員も務めた。

生涯

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三重県北牟婁郡相賀村小山に川端弥三郎の3男として生まれ、1898年(明治31年)に上京し、深川木場で材木商店員になる。1905年(明治37年)5月に川端商店を開業する。同年9月、神田淡路町の福音伝道館に通い中田重治チャールズ・カウマンらから教えを受け入信し、1906年(明治39年)4月に洗礼を受ける。

1922年大正11年)以降、東洋宣教会日本ホーリネス教会信徒代表議員になり、以来信徒会会長を務めた。1923年(大正12年)9月に関東大震災で被災して店を失い、洲崎埋立地に避難するもすぐに店を再建し、1930年(昭和5年)に中田重治が朝鮮へ伝道旅行に行った時に同行している。

1936年(昭和11年)のホーリネス分裂事件及びホーリネス和協分離の際は、信徒代表として分裂の調停のために活動する。また、深川区議会議員を4期務める。

1946年(昭和21年)に小田急電車の衝突事故に巻き込まれ、意識不明の重体になるが、九死に一生を得る。

1955年(昭和30年)6月、日本ホーリネス教団木場深川教会(1945年(昭和20年)3月11日の東京大空襲で焼失)の再建に尽力し、同年、川端商店開業・入信・結婚50年の祝賀会を開く。自伝の証言集『耶蘇の材木屋』を残した。

参考文献

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  • 米田勇『中田重治伝』1953年
  • 山崎鷲夫「川端京五郎」『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年