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川畑泰博

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
川畑 泰博
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県洲本市
生年月日 (1966-07-27) 1966年7月27日(58歳)
身長
体重
181 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1984年 ドラフト2位
初出場 1986年5月10日
最終出場 1993年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

川畑 泰博(かわばた やすひろ、1966年7月27日 - )は、兵庫県洲本市[1]出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

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小学4年の時に野球を始める[1]

洲本高では、1年夏の県大会で7回参考記録ながらノーヒットノーランを達成。2年生時の1983年に投手として夏の甲子園予選決勝に進出するが、池山隆寛のいた市尼崎高に完封負け[2]

1984年の夏も県予選で敗れ、甲子園には出場できなかった。

同年のプロ野球ドラフト会議中日ドラゴンズから2位指名を受け入団[1]

1986年に一軍デビュー。

1987年には主に先発として一軍に定着する。

1988年4勝を挙げて同年のリーグ優勝に貢献。

1989年は1A・ベロビーチ・ドジャースに野球留学した。

1990年は不本意な成績に終わる。右のオーバースローでストレートはMAX142km/h程度で特に外角球は威力がある。持ち球はカーブフォーク、決め球はスライダー変化球に課題があった。制球力に不安があるが「フルハウス・ピッチング」は逆に持ち味ともいえた。

1991年5月に南牟礼豊蔵との交換トレードでオリックス・ブルーウェーブに移籍[1]。移籍先でのオリックスではリリーフとして一軍定着を果たす。

1994年1995年には一軍登板がなく、1995年11月に自由契約となり古巣中日にテスト入団で復帰[3]

1996年も一軍登板がなく、現役引退。

引退後は、そのまま中日の打撃投手に転身[1]。現在はオリックス・バファローズスコアラーを務める。

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1986 中日 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 16 2.1 7 0 3 0 0 0 0 0 6 6 23.14 4.29
1987 21 15 3 1 0 5 3 0 -- .625 412 97.2 83 7 49 1 2 88 3 0 31 30 2.76 1.35
1988 25 16 1 1 0 4 4 0 -- .500 417 92.1 108 9 44 5 4 57 1 0 49 42 4.09 1.65
1989 20 8 2 1 1 7 1 0 -- .875 277 66.1 59 6 25 1 1 42 3 0 25 21 2.85 1.27
1990 15 5 0 0 0 1 4 0 -- .200 158 35.1 35 8 21 1 1 21 0 0 20 20 5.09 1.58
1991 オリックス 17 0 0 0 0 2 0 0 -- 1.000 170 36.0 47 3 17 0 0 27 1 0 27 22 5.50 1.78
1992 32 0 0 0 0 5 6 4 -- .455 255 62.0 56 7 20 3 1 35 1 0 33 31 4.50 1.23
1993 28 0 0 0 0 2 4 2 -- .333 209 50.0 50 4 17 0 2 36 2 0 19 16 2.88 1.34
通算:8年 160 44 6 3 1 26 22 6 -- .542 1914 442.0 445 44 196 11 11 306 11 0 210 188 3.83 1.45

記録

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背番号

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  • 53 (1985年 - 1991年途中、1996年)
  • 0 (1991年途中 - 1992年)
  • 34 (1993年 - 1995年)
  • 113 (1997年 - 1998年)
  • 105 (1999年 - 2002年)

脚注

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  1. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、173ページ
  2. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  3. ^ 【追悼・星野仙一 鉄拳制裁】星野さんの鉄拳、後ろに下がるとドンドン来る 元中日投手・川畑泰博氏

関連項目

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外部リンク

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