川添万寿得
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かわぞえ ますえ 川添 萬壽得 | |
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生誕 |
1870年10月20日 日本 高知県江ノ口村 |
死没 |
1938年7月11日(67歳没) 日本 東京府 |
墓地 | 多磨霊園 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 明治学院、オーバン神学校 |
職業 | 牧師、巡回伝道者、神学校教師 |
川添 万寿得(かわぞえ ますえ、1870年10月20日(明治3年9月26日) - 1938年(昭和13年)7月11日)は日本基督教会の牧師である。
生涯
[編集]1870年(明治3年)土佐藩士橋本家の2男として高知県江ノ口村に生まれる。その後、叔母の川添家の養子になる。
1888年(明治21年)高知教会で洗礼を受ける。1892年(明治25年)に片岡健吉と共に、上京し明治学院神学部に入学する。
明治学院を卒業後に長野県佐久郡に伝道に行く。1897年(明治30年)按手礼を受けて正式に牧師になる。1902年(明治35年)に渡米し、オーバン神学校に留学する。
1905年(明治38年)に帰国して、東京三田四国町に「みくに伝道会」を起こす。また、植村正久に師事して、『福音新報』の編集に携わる。
1906年(明治39年)以降は、長崎、大阪の教会を牧会し、東山学院と大阪伝道同志館(大阪神学院)の講師を務める。
1910年(明治43年)にギリシア語に堪能であったので、聖書改訳委員会に就任し、1917年(大正6年)の大正改訳聖書の完成まで務めた。
1917年から青山教会に赴任し、青山学院と明治学院神学部および、東京神学社の講師を務める。1929年(昭和4年)4月明治学院神学部長に、翌年からは日本神学校の初代校長に就任した[1]。
1935年(昭和10年)日本基督教会大会議長に選ばれる。議長として満州・朝鮮などへの巡回旅行を行う。しかし、病気に倒れ、1936年(昭和11年)以降療養に専念する。1938年(昭和13年)に青山教会を辞任し、名誉牧師になるが、その年の7月に死去する。
著書
[編集]- 『故千屋牧師の記念』新栄教会葬儀委員、1927年。 NCID BA46528875。
- 『枡富安左衛門追想録』枡富テルコ、1935年10月。 NCID BN14894999。
- 『川添万寿得遺稿選集』青山書院、1943年3月。 NCID BN15619366。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 松田重夫「川添万寿得」『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年 ISBN 9784764240056
- 明治学院『明治学院百年史』明治学院、1977年11月。hdl:10723/1221 。
外部リンク
[編集]先代 新設 |
日本神学校長 1930年 - 1932年 |
次代 高倉徳太郎 |