川村音次郎
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川村 音次郎(かわむら おとじろう、1890年7月15日 - 1973年2月12日)は、日本の実業家。キリンビール代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務め、在任中ビール業界トップシェアを実現した。
人物・来歴
[編集]東京府第三中学校(現東京都立両国高等学校)を経て[1]、1915年東京高等商業学校(現一橋大学)専攻部卒業[2]。剣道部出身[3]。
卒業後三菱合資会社入社。1935年三菱商事ロンドン支店長。1942年三菱商事産業部長[2]。
1943年岩崎小弥太の意向による人事で、キリンビール専務取締役に転じる。1951年からはキリンビールで取締役社長を務め、1954年には朝日麦酒、日本麦酒を抜きビール業界トップシェアを実現[4]。
1957年藍綬褒章受章[5]。1961年淡交会会長[1]。1965年勲三等瑞宝章受章[6]。1966年キリンビール取締役会長[7]。
脚注
[編集]- ^ a b 淡交会沿革 淡交会
- ^ a b 1_04_023_109b.pdf 麒麟麦酒第109期有価証券報告書 東京大学 経済学図書館・経済学部資料室
- ^ 私と剣道如水会
- ^ 山口一臣「日本ビール業界への警鐘 : 麒麟麦酒100年に見る日本ビール業界の課題」『成城大學經濟研究』第189巻、成城大学経済学会、2010年7月、15-81頁、ISSN 03874753、CRID 1050845762403652736。
- ^ 麒麟麦酒(株)『麒麟麦酒の歴史. 戦後編』(1969.01)
- ^ 麒麟麦酒(株)『麒麟麦酒の歴史. 戦後編』(1969.01)
- ^ 麒麟麦酒(株)『麒麟麦酒の歴史. 戦後編』(1969.01)
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